人生、走れば好転!

2003年29歳から走り続けてます、そしてこれからも!

第30回記念 別海町パイロットマラソン(準備編)

今から12年程前、まだまだモチベーションが高かった時期です。懐かしさもありますが、この翌年から徐々に自分自身の精神力が色々な意味で削られていきます。そして走り続ける意味を今考えても、良かったのか悪かったのか?…今でも結論は出ません。前を向いていくためにも、過去を振り返る事は良いきっかけになるはず!前置きはこの辺にして、当時にタイムスリップしたいと思います。
 
2008年10月5日開催
この日は今年の最大の目標レース、初参加でもある別海町パイロットマラソンです。
さらに2003年にマラソンを始めて6年、その集大成となるレースでもありました。
 2時間33分34秒(公認自己ベスト) 総合5位

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これまでのフルマラソンでは度重なる故障等で、なかなか納得の出来るトレーニングを続けることが出来ず、悔しい思いを沢山してきました。
でも今回だけは違いました。
 
今年の洞爺湖ラソン以降は、自分なりにトレーニングの内容やケアに関して見直しを図り、その結果大きな故障もなく、この日まで辿り着く事が出来たと思います。
それ程難しい事ではないかもしれませんが、自分が気をつけた点はこんな感じです。

サプリメント
レーニングの継続が途切れてしまう原因として、故障以外にも「風邪」があります(別大後のように)。疲労の蓄積に伴い、体の抵抗力は下がってしまいます。追い込んだポイント練習やレース後には特に注意が必要だったので、4月頃からビタミン類のサプリメントを摂取していました。その他に鉄やプロテインで体の中からも強化を。
9月に入ってからは、アミノバイタルproも購入して、疲労回復の促進に努めました。

・平日の朝ジョグを早めに切り上げる
ただ単に距離を抑えることが目的ではなく、この余った時間でストレッチ等の時間を増やす事が目的です。考え方は基本的に時間のある週末も一緒で、走った分はしっかりケアの時間を設けました。時間の許す限りにひたすら走り込んでいた3月…その失敗を繰り返さない為に、これだけは徹底的に守りました。

・クロストレーニングの割合を増やす
通勤時や移動には極力自転車を使用。夜のジムでも最低週1回はスイムを行い、脚でだけではなく体全体に適度な刺激を与え続けました。さらにマシン等による筋トレも、走力アップを狙うというよりは、故障防止の意味合いが大きかったです。

・クロカン走と持続走の融合練習
これが走力アップの一番の要因だった…と言っても過言ではありません。
5月から始めたモエレ沼公園での、週末の早朝クロカン走。モエレ沼公園には遊歩道や舗装された道路はあるのですが、自分はあえて草の上を選んで走ってました。
さらに出来るだけアップダウンを入れて、常に脚筋に刺激を与え続けれるようなコースを選定。プレイマウンテン山頂と野外ステージ奥を折り返し地点とした、U字型に往復する3kmコースです。

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最初はキロ5分でも30km程で限界だったのが、8月にはキロ4分半を切るペースで42kmやキロ4分で30km等。
ロードで走るのに比べるとペース自体は驚く様なものではありませんが、脚にかかる負荷は相当なものでした。
そしてなにより脚筋への負荷は大きくても、関節等にかかる負担は少なく、結果的に故障防止と走力アップの一石二鳥になりました。
その反面、泣きそうになる位キツかったので、週末を迎える事がいつも憂鬱だった記憶が…笑

これらを数ヶ月継続出来たことにより、9月には早朝では不可能と思っていたインターバル等のスピード練習もこなせる様になり、精神的な余裕度と強さも増したと思います。


5月からレースに至るまでの流れを簡単に説明します。

5月の走行距離(290km)
2月の別大では準備期間が短かった割に、思った以上の走りが出来たので、洞爺湖への期待も高まりました。ただ3月に680kmを走り故障…洞爺湖が勝負のレースでしたが、故障明けによる練習不足が響いて2時間49分。何とか故障も完治し気持ちも前向きに、10月の別海を目標に定めた時期でもあります。因みに4月の走行距離は85km…笑。ただスイムはかなり頑張りました。

6月の走行距離(300km)
距離はそれ程伸びませんでしたが、レースを利用して良い感じでトレーニングが噛み合ってきました。まだ無理をする時期ではなかったので、精神的にもまだ楽に過ごせていたと思います。トレーニングの継続により、走力の復活を実感。

7月の走行距離(490km)
本格的な走り込みの開始です。週末のモエレでのクロカン走をメインに、大きな故障もなくトレーニングが継続できました。平日の朝ジョグのペースも自然と上がってきて、モチベーションも徐々にアップ。

8月の走行距離(500km)
クロカン走の強度も次第に上がってきて、着実に脚筋力が強化されてることを実感。別海前の最後の40km走として走った北海道マラソンでは、予想外の自己ベスト更新に、自信を深めることが出来ました。残り一ヶ月、気を抜かずにさらに集中力を高めていこうと決意。

9月の走行距離(320km)
北海道マラソンでちょっと無理をしてしまい、風邪を引いてしまいました…気をつけてたんですが。
ただ体重増加は覚悟の上で、栄養補給を怠らなかった結果、何とか最小限のダメージで押さえ込むことは出来たと思います。
 
仕上げとして、ロードでのペース走を予定していましたが、あえてモエレでのクロカン走にこだわり続けました。そして早朝のインターバル(2kmx5)を2回程慣行。
残り2週間はサーモン駅伝や区民マラソンでスピードの刺激を入れて、最終調整まで本当に上手くいったと思います。
距離を落とす過程では、今回は2週間前から炭水化物を控え始め、体重の増加も最小限に抑えることが出来ました。ただ開始から1週間は空腹感も影響してか、体調の波が激しく苦労しました。

今回が本当に初めてです。これ程予定通りにトレーニングを遂行出来たのは。
この成功例は、今後記録を狙う時の自身の参考になるはずなので、ちょっと詳しく記録しておきました。
 
~レース前日~
行程は4日(土)の昼の便で丘珠から中標津へ。
空港からバスで別海町内のホテルマグハウス。
5日(日)のマラソン終了後は夕方の便で再び中標津から丘珠。
走ることに集中したかったので、ちょっと割高でしたが、往復飛行機としました。

4日は10時半頃に自宅を車で出発
妻と息子(当時4歳)が見送りに空港まで同行。丘珠空港の入口で赤い羽共同募金をやっていたので、息子に100円を渡して募金をしてきました。その時息子は羽を刺してくれたおじさんに「パパ、別海でマラソン走ってくるんだよ」と得意気に話していたのが、ちょっと面白かったです。
定員100人にも満たないプロペラ機に乗り、中標津に向けて出発しました。
丁度、プロペラの横の席だったので、結構うるさかったです。でも想像していたほどの揺れはなく、思ったよりも快適に過ごせました。

1時間弱で中標津空港に到着。
外は猛烈な豪雨。タラップを降りたところで傘を渡されましたが、それでも結構濡れました。
別海行きバスの乗車券を購入し、バスに乗ろうとしますが…どのバス?
受付で聞こうと思い再び空港の中へ、その時空港の中から運転手が出てきたので、このバスですよと。これってマイクロバスだよね…てっきり普通の路線バスを想像していたので、ちょっと驚きました。
乗客は自分も入れて7~8人。バスの中で妻に作ってもらったおにぎり2個と、豆大福1個を食べて昼食は終了。

ホテルに到着しましたが、まだ13時過ぎ…ちょっと早すぎたなぁ。
チェックインは15時からでしたが、特に問題もなくチェックインできたので一安心。
部屋はビジネスホテルの様な感じで、部屋自体もまだ新しいのか結構きれいでした。
しばらくは部屋でテレビを見ながら、ストレッチをしてくつろいでいました。
ちょっと退屈してきたので、気分転換に散歩に出かけることに。
それにしても全然人がいないぞ…本当に明日レースがあるのか?と言う位、町は平静を保っていました。
その脚でプロテイン用の牛乳を買いに、近くのスーパーへ。
「べつかいの牛乳屋さん」200mlを2パックと、蒸しパンを1つ買いました。
ホテルへ戻ってから、3時のおやつ代わりに早速蒸しパンを食す。

16時過ぎに開会式行きの送迎バスに乗って会場へ。
ナンバーカードをもらってから、パイプ椅子に座ってプログラムを眺めていました。
開会式の最後に抽選会があったのですが、くじ運の悪い自分には無縁だなと思っていた矢先…自分の持っている抽選券番号を言われてビックリ!
浅井えり子さんから賞品のジャンパーとTシャツを受け取り、折角なのでしっかり握手もしてもらいました。いや~本当にビックリした。
縁起が良いのか、運を使ってしまったのか…ちょっと微妙な心境。

開会式終了後は牛乳とアイスの提供があり、参加者達が一斉に殺到。もみくちゃにされながらも牛乳のゲットに成功。これで昼間に購入した分と合わせて3パックで600ml、プロテイン用として今夜と明朝の分が確保出来ました。
 
ホテルに戻ってから19時頃に夕食。
合宿で実業団の選手達が泊まりに来るだけあってか、おかずのバランスも良くなかなかヘルシーな印象を受けました。そして自分はそのおかずで、白米2膳と玄米1膳を食べてしっかりカーボローディング。数日前まで炭水化物を控えていただけに、体にエネルギーが満ち溢れてくる感じ…って、それはちょっと大袈裟でしたか。

部屋に戻ってから明日の準備を済ませて、ちょっと遅めの23時頃に就寝しました。「ルーキーズ」の総集編を見始めてしまった事で、風呂に入るタイミングを完全に逃してしまいました。ただレース前日にも関わらず、思ったよりもリラックスして過ごせていたのは、とても良い傾向と前向きに捉えていました。
 
〈当時を振り返って〉
このブログではまだ触れてませんが、2011年に次いで追い込んだシーズンでした。このレースで公認自己ベスト(恐らく生涯ベスト)を出す事が出来たのですが、当時のモチベーションは今では考えられない程の高さでした。このトレーニングを今出来るかと言われたら、正直100%無理です。色々な意味で恵まれていた時期…と言いますか最後のあがきだったのか?と今考えると思ってしまいます。