人生、走れば好転!

2003年29歳から走り続けてます、そしてこれからも!

北海道マラソン2006

2006年8月27日開催

男子優勝 渡辺共則

2時間17分50秒 

昨年に続いての2連覇!2009年に現役を引退。

 

女子優勝 吉田香織       

2時間32分52秒

故・小出義雄監督の誘いで積水化学に入社。小出監督高橋尚子が同社退社を機に資生堂に移籍。
 
 
 
ラソンを始めて4シーズン目、絶好調で挑んだ道マラ!
 
2003年は5月の初レース(ハーフ)の記録でエントリー。6月にフルを一回走って、その後道マラと。もちろん完璧な準備など出来るはずもなく、レース中にも爪が死んでしまい、大変な初道マラでしたが、止まらずに走りきれたことにはとても満足していました。初フルは何度か立ち止まってしまったので。

そして2004年は飛躍の年。春の洞爺湖では予想していなかった初サブスリー。その年の道マラでも涼しさの助けもあって、さらに自己記録更新が出来ました。
 
2005年は若干足踏みの年。前年の感じから50分切りは簡単だろうと思っていたのが、あっさり壁に跳ね返されてしまいました。何とか千歳で50分を切るも、再び暑くなった道マラでは50分を切れず。コースが変わったので前年の記録と比べることは出来ませんが、とりあえず道マラの自己記録更新は達成です。

そして今年2006年。おきなわマラソンでの好走で、目標も一気に40分切りまで上がりました。実際はおきなわでも40分切りを狙うつもりでしたが、直前になって45分きりに変更・・・コースが厳しそうだったので(^^;
本格的に40分切りを狙った洞爺湖ラソンでは、自分を追い込みきれずに中途半端なコンディションで臨み、後半は失速をしてしまいました。この時はちょっと慢心していたと思います。
 
気持ちを入れ替えて道マラに向けて再始動。今度こそはと、やれるだけのことはやったと思う練習が初めてできました。さらに直前の準備も念入りに、カーボ・ウォーターローディングも予定通り。準備万端いざ道マラへ!でも天気予報では当日の予想最高気温は30度でした・・・
 
~スタート
家族5人で大通りから地下鉄に乗り真駒内まで。時間的に早かった(9時過ぎ)割には、参加者と思われる方々がすでに結構乗っていた。
真駒内公園に到着するとタケダファミリーマラソンの真っ最中。ランナー達の長い列が道を遮っていたので、応援をしながら通過するのを待っていた。
今年は陸連登録者としてエントリーしたので、先頭からは10mも差がなかったような気が。そしていよいよスタート!

~5km 予定18'40⇒19'22
前からスタート出来たお蔭で、昨年までのようなストレスを全く感じずにスタジアムを出ることが出来た。
1km地点は昨年同様見落とす、2kmの通過が7'50位だったような。
意外と長く感じた最初の上り区間、ペースは気にせず体感で走る。
最初の給水地点から積極的に水分補給、脚にも忘れずに水をかける。
当初からのレースプランの変更もあり、予定ペースを大きくオーバー、でも全く焦りはなし。

~10km 予定37'20(18'40)⇒38'24(19'02)
日差しがかなり強いので、極力木陰を走るように心掛ける。
この区間だったと思いますが、左腿裏に若干の違和感を感じ始めてきた。
スポンジは帽子を脱いで、首筋から背中に流れるように。
給水の水はバシャッとそのまま脚にかけるのは勿体ないので、一旦手のひらに入れてからピチャピチャと脚に。
5km~10kmラップはほぼ19分。今日はこの位で行こうと何となく思っていた区間

~15km 予定56'00(18'40)⇒57'20(18'56)
見たことのある風景が・・・地下鉄菊水駅の付近、ペースを気にしない分周りを見る余裕も。
日陰を走りたいので集団から横に外れて走っていると、沿道から「おじさ~ん、こっちじゃないよ~」と。おじさんて・・・ちょっとショック・・笑
相変わらず左腿裏に違和感があるが、今のところ大きな問題ではなさそう。
1条大橋を渡った所で、前方に20人はいそうな大集団が見えてきた。
10km~15kmのラップは19分弱、余裕も十分あるしいいペース。

~20km 予定1:14'40(18'40)⇒1:16'25(19'05)
前方の大集団の中には何と千葉真子選手が、さらに千葉選手をマークしていたと思われる、海外からの招待選手2名。何でこんな所に?というのが率直な感想。
アンダーパスに入ったところで、ついに千葉選手をかわす。右腕にマジックで書かれた「ありがとう」の文字を見たとき、なんだか寂しい気持ちになってしまった。
15km~20kmのラップは19分ちょっと。このペースであればまだまだ行けそうという感じ。

~25km 予定1:33'20(18'40)⇒1:35'25(19'00)
中間地点の通過が1時間20分半位。まだ余裕はあったので30kmまでは抑えようという気持ちで走る。
一番通に入った辺りから、前を走る100番台のランナー2人の後ろにつかせてもらう。
20km~25kmのラップは19分。この辺になると先程までの余裕が徐々になくなってくる感覚に。

~30km 予定1:52'00(18'40)⇒1:54'36(19'11)
追分通りに入った辺りから、前のランナー2人に若干離される場面が出てきた。でもついていく。
疲労感が急に増してきたが、水分不足やエネルギー不足という感覚はなかった。なのでパワージェルは補給せず。
第二折返し手前で、前のランナーの一人がペースを上げた様な…実際は自分と、もう一人が落ち始めたのかも。
中間地点での感覚からいくと、ここで落ち始めたのは予想外だった。
25km~30kmのラップは19分10秒を越える。19分のイーブンが難しくなり、ここからの走りを考え始める。

~35km 予定2:11'10(19'10)⇒2:14'44(20'08)
一番通りを戻ると向い風…毎年のことだが、これが結構辛い。余力が残っている時は関係ないが、疲労度が高いと押し戻される感じ。
ペースは㌔4分近くまで落ちている。ただここで無理してペース維持はせず、残りを走りきる余力を残すために意識してペースを落とす。
反対車線ではランナー達がまだまだ戦っている。走友達とのエール交換で集中力の維持を心がける。
ペースは落ちたにもかかわらず、抜かれるよりも抜く方が多い。皆も厳しいようです。
左腿裏の違和感がかなり気になったので、左足を休ませる作戦に。ただ単に右足の蹴りを主体にして、左足は置くだけ…でも右のふくらはぎがぴくぴくしてきたので、2km程で終了。
30km~35kmのラップは20分を越える。ペースの落ち具合が㌔4分ちょっとで済んでホッとする。と同時に40分切りは諦める。

~40km 予定2:30'45(19'40)⇒2:35'55(21'11)
前のランナーとの差が徐々に開いていく感じ、前に追いつく気力がなくなってきている。
大通公園まで来ると沿道の応援が突然多くなり、驚きとともに圧倒されてしまった。凄い。
35km~40kmのラップは21分を越える。かろうじてサブスリーペースは保てたようだ。でも残りをペースアップしない限り、45分は切れないことを頭の中では理解していた。

~Fin 予定2:39'50(9'00)⇒2:45'37(9'42)
最後の直線に入るが、ペースアップは全くできない。遥か前方に中島公園の緑が見える。ゴールまでもう少しだ~。
残り1kmの地点で45分切りのタイムリミット4分前。粘りと諦めの気持ちが交錯する。最後まで諦めたくないが、脚は思うように動いてくれない。
そして必死の形相でのゴール!カメラにポーズをする余裕は勿論なし。
ゴールタイムは2:45'37。40分切りはおろか、結局45分も切ることが出来ず…しかし力を出し尽くした走りは出来たと。

ゴール後~
急に立ち止まったので、一瞬頭がクラクラして脚もフワフワした感じになりましたが、何とか持ち直して完走メダルをかけてもらいました。そして「ありがとう」とお礼を。

その後急に具合が悪くなり、公園内の芝生の上でしばらく大の字になって休憩。最後のランナーがゴールしたというアナウンスを聞いた時には、自分も多少気分が良くなったので家路につきました。

北海道マラソンが終わってすでに1週間が経過しましたが、今考えるとあ~あ駄目だったかぁ…と。
別大の出場資格は来年以降に持ち越しになってしまいましたが、今後の近い目標としては旭川ラソンでの40分切りを目指したい
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北海道マラソン2005

2005年8月28日開催

男子優勝 渡辺共則

2時間14分50秒 

1995年に旭化成入社、1999年の防府読売マラソンにてサブテンを達成。

 

女子優勝 千葉真子       

2時間25分46秒

昨年に続き2連覇を達成!北海道マラソン通算3勝。翌年06年の北海道マラソンが引退レースとなった。

 

《画像は北海道マラソン公式サイトより》

 

猛暑の中、期待と不安の大一番!

今年の月間走行距離のピークは5月の315㌔。その後は故障などにも悩まされたこともありましたが、平日は朝ランをせずに、ほぼジムでのランニングのみで200㌔台を維持するのが精一杯。その穴埋めとして週末にスローペースではありますが30~40㌔のロング走を行い、長い距離に対する適応力を少しでも高めようと努力はしてきたつもりでした。

北海道マラソンへの最終調整として臨んだ先週の夕涼みマラソンでは、河川敷のフラットコースにもかかわらず、太腿前面とふくらはぎが筋肉痛になり、走りこみ不足ということを実感。昨年8月の走行距離は400㌔を越えていましたが、今年は300㌔にすら届かず。不安を大きく抱えながらも、この状況で自分の力がどこまで伸びたのかと、かすかな期待も持ちつつ3回目の北海道マラソンをむかえました。

真駒内公園に到着するとすでにすごい人!スタジアムの席に場所を確保して、スタートまでの時間を過ごします。昨年までは観ることが出来なかったタケダファミリーマラソン、参加者の頑張りに自分も刺激を受け緊張感も次第に高まっていきます。スタート1時間半程前にカステラやおにぎり、ゼリー等をお腹に入れエネルギーを蓄えます。

アップの途中にネットの掲示板などで交流のあるランナーの方に偶然会うことができ、少しではありましたがお話をして互いに健闘を誓いました。その後トイレでは毎度のことで慣れましたが長蛇の列、20分程並び無事に用を済ませます。それにしても今日は暑くなりそうです、帽子は後ろにも日除けが付いた物を着用、特に水分補給はこまめにしなければと感じてしまいました。

スタート40分前。荷物を預け最終受付のため、大混雑の狭いゲートを歩きトラックへ、大勢のランナーを目の前にとうとう始まるんだと、何となく嬉しい気分になってきました。ゆっくりトラックを1周、とりあえず集合場所に並びましたが、あまりの日差しの強さにトラックのバックストレートの日陰に避難します。考えることは皆同じで、よく見ると日陰にズラーっとランナーが腰をおろしていました。

スタート15分程前になりランナーがスタート地点に整列を始めます。そこではゼッケンが近かった別のネットランナーの方を見つけ、スタート直前までお話をして大分リラックスすることができました。そしていよいよ北海道マラソンの号砲が鳴り響き!・・・歩き出します。トラックを出るまでは仕方ないと思い、のんびりと脚を運びました。

今回は出来るだけスタートのロスを最小限に抑えたかったので、いつもよりペースを速めにしてランナー達の間をすり抜けて行きます。あまりの混雑とすり抜けに集中していたこともあり1㌔の表示は見落としましたが、2㌔の通過タイムが8分50秒程で思ったよりもロスを抑えることが出来ました。

目標タイムは最初2時間45分切りを考えていましたが、今日の気温を考えると力を最大限に出せても正直厳しいと感じたので洞爺湖、千歳のときと同様㌔4分で自己ベスト狙い。ここからはスタートのロスで㌔4分から飛び出たこの50秒程のタイムを、どれだけ相殺していくことが出来るかが目標になります。

5㌔通過が21分ちょっと、序盤からいきなり上りがあったためペースアップは意識せず、体感に任せながらも順位を上げていきます。昨年は走らなかった地下鉄真駒内駅の前を通過、この辺りで左腿付根に違和感、さらに左膝にいつもの痛みが発生、嫌な予感はしましたが我慢出来ない程ではなかったのでペースは維持。

給水地点では水やスポンジで脚を冷却して痛みを和らげます。7㌔過ぎのスポンジポイントを通過してしばらく、歩道寄りを走っていた自分の右顔面に突然衝撃が!「えっ、何だ?なんだ?」最初何が起こったかわからず一瞬驚きましたが、斜め前方を走っていたランナーの投げ捨てたスポンジが自分の顔面を直撃したようです・・・笑。

ぶつけた本人はもっと驚いたようで何回も謝ってきました。自分も「大丈夫!大丈夫!」と全然気にしてないよと言うことを伝えることが出来たとは思いましたが、表情はかなり深刻だったのであの後大丈夫だったのかなぁと逆に自分が気になってしまいました。5㌔から10㌔までの1㌔ごとのラップは3分台を維持し、タイムロスも順調に50秒にまで減らします。

10㌔以降は下りの影響もあったと思いますが、集団に入り㌔4分を確実に切って走りました。15㌔通過時のロスは20秒ちょっと、この5㌔のラップは19分半でロスが急激に減りすぎかな?と思いましたが、調子は悪くないのでそのまま行くことに。

ここで後ろからペースを上げ、集団を引き離していくランナーがいました。「あっ・・!」このランナーに見覚えが、昨年の札幌マラソンでスタートから10㌔弱、ペースメーカーにさせてもらった方でした。そのときは自分の調子が良く途中で飛び出す形になり驚きのタイムが出たのですが。

昨年のこの大会では48分台・・・またお願いします!と言う感じで再びペースメーカーにさせて頂きました。集団を引き離しつつ、そこからはほぼ㌔4分のイーブンペースを順調に刻みます。通過タイムを考えるとペースが上がったわけではないので、今までいた集団のペースが落ちていたようです。

両親が地下鉄24条駅付近で応援すると言っていたので、24条通りに入ってからは沿道を注意深く見渡しながら走ります。そんな状態で2㌔程走り、20㌔の通過タイムは1時間20分少々とペースメーカー作戦は成功。24条通りに別れを告げると、ここからコースは右側通行で給水も右側に、多少違和感はありましたが、しばらくすると慣れてしまいました。

給水ごとの脚の冷却で、シューズの中はビチャビチャ・・・足がふやけて足とシューズが擦れて水ぶくれが出来た感じがしてきましたが、外傷はレース後時間が経てば治ると思ったので多少痛くても気にしないことにしました。そして良いペースで新琴似の一番通りに入ります。

25㌔地点通過までのタイムロスは30秒弱、このタイムロスがなかなか引っ込みません。㌔4分を切っているだろうと思って時計を見ると4分を越えていたりと、この辺りになるとペース感覚に違いが出てきました。体や脚にはまだ余裕はあるのですが、やはりこの日の暑さは見えないところで体に影響を与えていたようです。

しかし、気持ちだけは前に出たがっていたので、26㌔を過ぎた辺りでペースメーカーにさせて頂いたランナーを抜き去りここからは一人旅。追分通りに入り自分のペースが上がったのか、周りのペースが落ちているのか・・・着実に順位を上げていきます。昨年、一昨年とここではバナナを配っていたのですが、今年はコース変更のためかどうかわかりませんが残念ながらありませんでした。

バナナの補給ができなかったときのことを考えて、洞爺湖の時と同様パワージェルを2つ携帯してエネルギー補充に役立てました。想像以上に長く感じた追分通りのダブル折返し区間もあとわずかの30㌔地点通過、タイムロスは20秒にまで減らすことが出来ていました。

再び一番通りを戻るルート、反対車線ではまだまだランナー達が戦いを繰り広げています。自分はここでも友人や仕事関係の方の応援を受け、ペースを維持し続けることに集中することができました。34㌔付近では従妹たちの声援を再び受け、35㌔地点のタイムロスはついに5秒程!㌔4分切りまであと少しの所まで来ました。

ここまでは㌔4分前後を維持していたのですが、37㌔では㌔4分18秒と突然のペースダウン。ペースが落ちたとは感じなかったのですが・・・残り5㌔どこまで粘ることが出来るか頑張りどころです。

ゴールはまだかと残りの距離を気にするようになってきたのは疲れた証拠。しかしこのペースダウンも洞爺湖に比べれば10㌔は先送りされてる状況なので何とか持ちそうか。

40㌔通過でタイムロスはまた50秒程に増え、自己ベストは難しいか・・。太腿はパンパン!ふくらはぎは攣る寸前・・さらに手足の指先が痺れてきて大丈夫か?とちょっとビビリます。このタイム領域でこのペースの落ち具合、いつもであれば次々と後続に抜かれていくことになります。ところが元気に自分を抜いていくランナーは2~3人、ほとんどのランナーは自分と同じ位、もしくはそれ以上にペースが落ちているという厳しい状況のようでした。

駅前通りの最後の直線に入り、沿道は物凄い人で埋め尽くされていました。声援は昨年以上に沢山受けることが出来本当に力になりました。

中島公園入口のゲートを通過したときのタイムは48分ちょっと。これはギリギリ50分切り行けるかもと思いましたが、ここからの距離が長いということをすっかり忘れていました。昨年、一昨年は苦悶の表情でのゴールでしたが、今年は帽子を脱いで笑顔?でゴールラインを通過。完走メダルをかけてもらい今年もまたホースの水浴び、左腿付根と左膝には大した痛みはなく一安心です。

今回も㌔4分切りはなりませんでした。脚の筋肉痛と戦いながらの着替えを終えた頃突然の雨、この雨があと一時間早く降ってくれたら・・・さらに気温がもう少し低ければ・・・。しかし、タラレバは考え出すとキリがないので、今日のこのタイムを素直に受け入れ努力を継続していかなければと思いました。

~5k⇒21'06
~10k⇒40'48(19'42)
~15k⇒1:00'24(19'36)
~20k⇒1:20'25(20'01)
中間地点⇒1:24'48(4'01/km)
~25k⇒1:40'28(20'03)
~30k⇒2:00'19(19'51)
~35k⇒2:20'05(19'46)
~40k⇒2:40'45(20'40)
~GOAL⇒2:50'44(9'59)
後半ハーフ⇒1:25'56(4'04/km)

GOAL 2:50'44(4'03/km)

男子一般競技者 12位/1554人中
男子総合順位 126位/2353人中

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北海道マラソン2004

 2004年8月29日開催

男子優勝 ラバン・カギカ

2時間12分20秒 

当時は日本の実業団JFEに所属、2007年には世界陸上にマラソンケニア代表として出場。

 

女子優勝 千葉真子       

2時間26分50秒

世界陸上では1997年アテネ大会10000m、2003年パリ大会マラソン、いずれも銅メダルを獲得している。現在はスポーツコメンテーターとして活躍。

 

 《画像は北海道マラソン公式サイトより》

 

万全の状態で望んだ2度目の北海道マラソン

8月に入ってから今までより30分早い5時に起き、早朝ランニングの距離を20㌔にまで伸ばした。大会前日までのこの月の走行距離は410㌔!1週間前からは調整のため距離は短くしたものの自分では頑張ったと思う。しかし、時間の取れる休日にしか出来ない40㌔走は今年も1度だけにとどまった。

札幌駅から地下鉄で真駒内まで行き、そこからは徒歩で真駒内公園に向かった。天気は曇りでこの時期にしてはかなり肌寒く風も強いので外での応援は大変そうだが、夕張のレースで暑さが苦手ということを認識した自分にはこの天候は好都合である。

公園に到着してからスタートまではあまり時間がなく、アップついでにトイレも済ませ早速競技場内に入り最終受付を完了させた。気温が低いので記録の更新が狙えると思っていたが、最初から無理はせずにとりあえず前半は押さえ、その後は様子を見て決めようと思った。しかし、最低ラインはやはり3時間を切ることである。

スタート位置は最後方の去年よりは大分前だが、それでも全体の真ん中位。スタート後も無駄に体力を消耗するだけなので無理に前に出ようとはせず、ある程度周りに合わせて走っていた。今年は例年に比べ寒いせいもあり、スタート直後の公園内では途中コースを外れて用をたすランナー達が続出!失礼ながら自分も沿道で応援している人たちも、そのあまりの人数の多さに思わず笑って見ていたが、本人達にしてみれば深刻な問題である。

最初の5㌔は24分を少し切る位。スタートでのロスはかなり大きかったが、その後は5㌔を20分台のペースで走り、少しづつ遅れを取り戻していく。15㌔を過ぎたあたりから自分もトイレに行きたくなってきた、コース沿いのガソリンスタンドにランナーが走り込んで行くのがちらほら見うけられたので、自分もタイミングをみて入ろうと思ったが、結局入らずにとりあえずは我慢をすることにした。

新琴似の一番通りに入り男子のトップ集団とすれ違うが、すでに5㌔以上は離されていてとても同じ人間とは思えなかった。その後も沢山のランナーとすれ違い、まもなく女子のトップともすれ違った。他の大会で見たことのあるランナーも目に入ってきたので自分も頑張ろうと気持ちを引き締める。

中間地点を1時間半弱で通過し去年より3分早い程度だったが、前半は自分の中でかなり抑えた走りをしていたので、このままのペースを保てばサブ3は達成できるはず。そして第1折り返し地点を通過したあたりで洞爺湖での自己記録を更新するにはそろそろ行くべきだと感じたので、もう少し様子を見ようとも思ったがスピードアップ!その直後、去年と同じ場所で沿道からバナナを補給。

行きは風をほとんど感じなかったが、一番通りを戻るときに強い向かい風であることに気付いた。しかし、気力も体力も充実している今は風など気にせず突き進んでいった。さらに去年とほとんど同じ30㌔付近で【止まれ】おじさんに追いつき、激励の言葉をかけつつ今年は並走せずに一気に抜いていくことが出来た。

40㌔付近からペースが落ちてきたと自分自身感じたが、何とか持ちこたえ自己新記録でゴール!後半のハーフは前半を大きく上回り5㌔を19分台のラップを刻み続け1時間23分台。スタートのロスがなければ2時間50分を切るような勢いだった。

ゴール後は去年と同様、この気温の中係員にホースで水をかけてもらう。さすがに寒くガタガタ震えも出て「これは失敗した」と後悔し、急いで預けた荷物をもらいタオルで体を拭いて着替えた。結局、我慢していたトイレはレース中には行くことがなく済んだので結果オーライである。

START-5k⇒23'51
5k-10k⇒44'17(20'26)
10k-15k⇒1:04'58(20'41)
15k-20k⇒1:25'17(20'19)
中間地点⇒1:29'33(4'15/km)
20k-25k⇒1:44'12(19'08)
25k-30k⇒2:03'47(19'22)
30k-35k⇒2:23'17(19'30)
35k-40k⇒2:43'27(20'10)
40k-GOAL⇒2:52'58(9'31)
後半ハーフ⇒1:23'25(3'57/km)

GOAL 2:52'58(4'06/km)

男子一般競技者 29位/----人中
男子総合順位 177位/2636人中

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北海道マラソン2003

2003年8月31日開催

男子優勝 エリック・ワイナイナ 

2時間13分13秒 

テレビでもお馴染み、マラソンのオリンピックメダリスト。1996年アトランタで銅、2000年シドニーでは銀を獲得している。

 

女子優勝 田中千洋       

2時間33分30秒

中・長距離で今大注目、田中希実選手のお母さん!今大会2度目の優勝。

《画像は北海道マラソン公式サイトより》

 

フル2回目にして北海道マラソン

春のハーフのタイムでエントリーすることが出来た北海道マラソン、初の市街地レースである。本番前に1度だけ40㌔を走ってみたがやはり後半はバテバテになってしまい、まだサブ3を狙えるレベルではないと思った。

スタート位置は初出場のためほとんど最後方。今回はアコムでの教訓を生かしてペース配分を考えることにし、目標タイムは現時点での実力を考慮して3時間10分を切ること5㌔を22分半とした。

スタート直後の競技場出口はランナー達で混雑し、歩いたり止まったりという感じでまあ仕方ないかと焦らずに行こうと思った。公園を出て公道に出てからも混雑はしばらく続いたが、間をすり抜けるようにして少しずつ順位を上げていった。

5㌔地点はいつの間にか訪れた、抜くことに集中していたのだろうか。しかしタイムはスタートのロスもあったが予定より2分遅い。単純に目標タイムを割っただけのペース配分なので後半の疲れを予想すると少し不安になったのでスピードを上げた。

10㌔地点を過ぎた辺りから、爪の先が靴の中の縫い目に引っかかり痛くなりだした。今回のために新調したものであるが、とあるスポーツ店のお兄さんにぴったりサイズの靴を勧められ普段(26センチ)より0.5センチ小さいサイズの物を買った(原因はこれだけではないとは思うが)。爪は前日にきっちり切っていたがちょっとこれは気になる・・・。靴の中で指を曲げてなんとか気を紛らわしたが、不安は消えなかった。

街の中心部を抜け、創成川沿いの片側3車線の広い道路に出た。たまに車では通るが、どんなに交通量の少ない早朝でも走ることなど到底ありえない。ほとんどのランナーが左に寄って走っているのを横目に堂々と道路の真ん中を走り、とても爽快な気分だった。

中間地点を1時間33分で通過。爪の痛みはマヒしてすかっり忘れ、目標タイムを切るにはいいペースだなどと考える余裕すらあった。第1折り返しを過ぎてすぐに沿道の人からバナナを補給!。しかし25㌔辺りから悪夢の前兆らしき状態になりつつあった。

30㌔付近で【止まれ】の道路標識のリュックを背負った年配のランナーとしばらく並走。かなりの有名人らしく沢山の人に応援されていた。その後、抜いたのか置いてかれたのかすらわからないくらい意識がもうろうとしてきた。

35㌔を通過し時計を見たが、すでにペースの計算をする思考能力はなくなっていた。ただこの状態では目標タイムクリアは難しいとは感じ始めていた。第2折り返し地点を通過してきたランナー達をうらやましそうに横に見ながら、自分もなかなかたどり着かない第2折り返しを目指す。

中島公園に入ってからが思ったより距離があり、道も蛇行しているので先が見えない。やっとゴールが目に入ってきて最後の力を振り絞ってラストスパート!結局後半は1時間40分を超えてしまい、目標の3時間10分を切ることができなかった。しかし自分ではフルマラソンを走りきったという達成感もあり、満足のいく走りができたと率直に思った。

当日は気温が高かったらしいが走っているときはそれほど感じなかった。ゴール後係員にホースで水をかけてもらいすっきりとした気持ちで大会を終える事ができた。それから数日後、両足の親指と人差し指の爪が4枚剥がれることに・・・、札幌マラソンに向け靴を買い換えたのは言うまでもない。


SPLIT LAP
START-5k⇒24'36
5k-10k⇒45'34(20'58)
10k-15k⇒1:07'08(21:34)
15k-20k⇒1:28'47(21:39)
中間地点⇒1:33'35(4:26/k)
20k-25k⇒1:50'52(22'05)
25k-30k⇒2:13'54(23'02)
30k-35k⇒2:38'14(24'20)
35k-40k⇒3:03'18(25'04)
40k-GOAL⇒3:14'04(10'46)
後半ハーフ⇒1:40'29(4:46/k)

GOAL 3:14'04(4'36/k)

男子一般競技者 159位/1317人中
男子総合順位 447位/1969人中

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