人生、走れば好転!

2003年29歳から走り続けてます、そしてこれからも!

第57回別府大分毎日マラソン

2008年2月3日開催
 
https://livedoor.blogimg.jp/yutochi210/imgs/5/3/5310e025.jpg
 
2003年に走り始めて丸5年。
今回やっと念願であったフルマラソンのエリートレース『別府大分毎日マラソン』への初出場を果たすことが出来ました。


正式タイム
5km-19'18
10km-38'31(19'13)
15km-57'53(19'22)
20km-1:17'28(19'35)
(21.1km-1:21'53)
25km-1:37'08(19'40)
30km-1:55'59(18'51)
35km-2:13'59(18'00)
40km-2:32'08(18'09)
42.2km-2:40'07(7'59)

 
2006年の絶好調が一変、昨年2007年は正直納得の記録を残すことは出来ず悔しい思いを。一番良かったタイムが、持続走として出場した荒川での2時間50分。本命の洞爺湖では直前の故障で途中棄権。さらに北海道マラソンでは自己ワーストの3時間43分。
故障⇒練習不足⇒レース⇒また故障…そんな悪循環をずっと繰り返していました。

今年は同じ過ちを絶対に繰り返さないように、回復を最優先としてトレーニングをセーブ、機が熟するまでじっくりと焦らず待ちたいと考えていました。
なので今回の別大もスタートラインに立つ事が最優先、実質2ヶ月という準備期間でどこまで出来るかは全くわかりませんでしたが、限られた期間で自分なりに出来ることをやってきたつもりでした。


・レース前日
新千歳空港を8時半に出発、羽田で乗り継いで大分には13時頃に到着。予定では空港で昼食のはずでしたが、大分行きのバスが13時半を逃すと15時台までないらしく、空腹のまま大分行きのバスへ。

雨の大分駅に着きましたが、あまりの空腹感におにぎり2個とイチゴ大福を購入。その後若干迷いながらも無事に宿泊ホテルにチェックインをすることが出来ました…でも雨でびしょ濡れ。
受付があるのであまりゆっくりも出来ず、おにぎりと大福を食べてから電車に乗り、受付会場である別府のビーコンプラザへ。雨が降ってるので傘を差していても足元が~…寒さは別として雨より雪の方がマシかも。

激励の夕べではバイキング形式で料理が食べ放題!でものんびりしているとすぐになくなってしまいます。料理テーブルに群がる選手達の間を縫って、何とか料理を確保することが出来て一安心。ビールはコップに軽く3杯程度で、あとはウーロン茶にしました。

帰り道では妻に借りてきた折畳み傘を壊してしまい、ちょっと大変な思いもしました。この日はずっと雨だったので、レースの準備をしてからホテルの大浴場で浸かり、一度も走ることなく就寝…明日は雨が降らないことを願いつつ、傘が壊れてるので…笑


・レース当日~スタート前
3日は6時半に起床。7時から朝食なので、すぐに行きました。昨日も結構食べたのですが、この日の朝もかなり食べました。ご飯とお粥とパンを全て制覇。
朝食後は恒例のトイレラン…ではなくウォーク。雨はすっかり止んでいたので、大分川に向かって往復2km程の散歩をしました。ウォークにもかかわらず帰りは非常にやばかったです…何とかホテルに到着しましたが、エレベーターは行ったばかりでなかなか来ない~…かと言って10階を階段で上ってたら確実にアウトでした。でも目的は達成。

9時40分頃ホテルを出発して、競技場に向かい歩き出します。雨であればバスで行くつもりでしたが、時々晴れ間も見える天気だったのでのんびり歩くことにしました。
大分川のボート練習を見ながら橋を越えて土手の上をさらに歩きます。ちょっと肌寒かったですが、北海道に比べれば全然…札幌だと4月下旬くらいの感じかもしれません。

競技場に到着して雰囲気を味わいつつスタートまで1時間半、ウェアーチェックを兼ねた点呼の長い行列に並びます。点呼終了後はアップでトラックを5周、トイレもしっかり済ませました。

スタート20分前、ランパンランシャツに着替えて走る準備は完了。今回は薄手の手袋のみと防寒対策は全く考えていなく、スタート直前までアームウォーマーを購入するか非常に迷っていました。でもすでに時間が無く諦めることに。太陽が出ると結構温かく感じたので、終盤失速さえしなければ寒さには耐え切れそうと判断しました。
その他の装備はサングラス、ランパンの簡易ポケットにはカーボショッツを2袋、シューズはウェーブスペーサー2004。

自分のナンバーは331でほぼど真ん中です。前から13列目の320~340のプラカードの位置に並びますが、さらにここでも順番のチェック。インコース側からナンバー順に並んでいるかチェックを行っていました。11時50分を過ぎていたので前方に見える大型スクリーンでは放送が始まっている模様。それを意識してか選手達がクレーンのカメラに向かって手を上げたりしていました。自分もちょっとだけ…笑
 
スタートの時間まであと僅か…緊張感も高まります。スタンドからもカウントダウンが聞こえてきます。そして12時、号砲と共にいよいよ『第57回別府大分毎日マラソン』のスタートです!


・スタート~
周りを囲まれて逃げ場がないので、転倒に十分注意しながら慎重に脚を運びます。トラックを1周する頃にはスペースも若干広くなり、さらにトラックを3/4周程走ってから競技場をあとにします。
レーススタート
今回の目標タイムは厳密には設定しませんでしたが、基本的にはキロ3'50前後で最後まで行ければ良いかな?と。実際に走ってみて調子が良ければ、40分切りの可能性も視野に入れながらペース配分を考えることにしました。ただ40分を切るには30kmを最低でも1時間52~3分台で通過しないと厳しいということを頭の片隅には入れておきました。

と言うことで結構重要な入りの1kmは?と時計を見ると…心拍数だけが表示された状態!?スタートボタンを押し忘れてました。とりあえず慌ててスタートボタンを押しましたが、結局1km通過のタイムはわからないまま。計算しやすいように4分足せばいっか、まぁ微妙なタイムでゴールに駆け込む訳でもないし…。自分の感覚では4分は確実に切ってると思っていました、2km以降も3'50~55のラップだったので。しかしこの勘違いが最後の最後で悲劇を招いたのです…笑

3km付近、自分はどの集団に入ろうか迷っていた時間帯。本当は設定より速めの3'50を切る集団に入りたかったのですが、いつも設定ペースよりも速い集団に入りそれで失敗していたので、今回は自重して一つ後ろの集団に落ち着きました。
折り返しを通過して5km地点は15'17…+4'。ちょっと遅めですが、通過タイムに一喜一憂せず、自分が楽と感じる感覚を維持します。いまいち呼吸が安定せず。
~5km-19'18【158/165】


集団の中を走っている為か、風はそれ程気になりません。6kmには最初の給水ポイントのはずでしたが…上に何も置いてないテーブルが並んでいるだけ、そして地面に散乱しているペットボトル。仕方ないので落ちている飲みかけのペットボトルを拾おうとしますがタイミングが難しい…まぁ当然ですけど(笑)
ここで作戦変更、ペットボトルを拾う事に成功したランナーから拝借しました。これが一番かな?ちょっとずるいけど。

何とかスポーツドリンクを一口飲みましたが、口の中に甘さが広がりちょっと気持ち悪くなる。スタート前にも散々スポーツドリンクを飲んでいたので、若干の拒否反応か?お口直しにスポンジポイントでは水を補給、これでちょっと落ち着きました。
舞鶴橋を渡り10km地点。ペースは5kmまでとそれ程変わらず、予定ペースよりは若干遅いままですが順調にレースは進みます。やっと落ち着いてきました。
~10km-38'31(19'13)【157/162】


10kmを過ぎ、この辺から尿意を感じ始めました。我慢出来ない程ではありませんが、引く気配も全くありません。さっさとトイレに入ってしまえば簡単なのですが、トイレでスッキリした後に関門でレース終了~なんて事になりかねないので、我慢するしか道は残されていませんでした。

集団のペースは上がるわけでもなく落ちるわけでもなく、自分は何も考えずに付いていくだけ。大分の市街地を抜けると右前方に別府湾が、はっきりと向かい風を感じたので、意識して集団の後ろに隠れながら風の影響を受けないように心がけました。
左腿裏には少し違和感がある程度、気になっていた左すねや右の腸脛靭帯は問題ないようです。
~15km-57'53(19'22)【157/163】


噂には聞いていましたが、別大国道のバンクは想像以上に傾いてました。傾斜を意識して走らないと、どんどん下に落ちていきます(笑)
そんな中でも考えている人はいるみたいで、路側帯の排水溝の上はそれ程傾斜がキツくなく、自分も真似をしてしばらく排水溝の上を走っていました。

それでも一番気になるのはトイレ、正直走りに集中出来ない位まで追い込まれています。本気で垂れ流そうと思ったくらいです、でもそこは我慢…笑
20kmまでのラップが19分半を越えてきました。体感的には今までと変わらないイメージで走っていたのですが、向かい風の影響で集団のペースが落ちてしまったようです。このペースダウンに敏感に反応した余裕のあるランナー達は、各々のタイミングで集団から飛び出していきました。
自分はまだ我慢、違う意味でも我慢してましたが…笑

この尿意は本当に何とかならないのかと考えた結果、給水はしばらくパスすることに。ただスポンジだけは取って口を湿らす程度にしました。何とか尿意が治まって欲しいな~と思いつつ、スタートからずっと持っていたカイロをシャカシャカと振ってました。
~20km-1:17'28(19'35)【156/162】


自分の脚に自信があれば、ここで思い切って飛び出したいところ。しかし、まだそんな勇気は湧いてきません。それよりも尿意が気になり過ぎて、それどころではなかったような気も…。

22~3km付近に来るといよいよトップランナーが折り返してきました、トップはちょうど29km地点。ペースメーカー二人と黒人選手一人、そこから少し離れて日本人を含む集団がありました。その後も次々とランナー達とすれ違います。
刺激を受けたのか何となくペースが上がりそう、でも余裕があってもとりあえず折り返しまでは我慢。今出ても30km以降に失速したら意味がないと。さらに年末につどーむで行った32kmの持続走、キロ4分設定にも関わらず終盤失速…ペースも心拍数もその時とほとんど同じ状況で走っていたので、慎重にならざるを得ません。

気のせいか?ちょっと雨が落ちてきたような…寒さは感じていましたが、カイロのお陰で指先は冷たくならずに済んでいました。
そして25kmを通過。この区間の5kmのラップはさっきよりもさらに遅い…これからがちょっと心配になった瞬間でしたが、焦らず焦らず。ここでひとつのポイントである折り返しを迎えます。
~25km-1:37'08(19'40)【156/160】


折り返すと待っていた追い風…意識してペースを上げた訳ではありませんでしたが、いつの間にか集団を飛び出していました。
そして1kmのラップが3'50を切り始めていることに気付き、モチベーションも徐々に上がってきます。さらに尿意もいつの間にか治まったので、走りにも集中できるようになって来ました。脚にはまだ疲労感は感じていません、ここから上げていくぞ~!
…と言ってもまだ30km手前、もう少し様子を見たい欲求に駆られて気持ち抑え気味に。
いよいよ後半戦の始まり。30kmまでの5kmのラップは19分を切ってきた~!
~30km-1:55'59(18'51)【158/162】


帰りの別大国道は追い風にも助けられて、ペースも結構上がってきます。キロ3'40を切ってましたが、脚もまだ軽い感じで苦しさはそれ程感じません。ランナーを次々とゴボウ抜き、誰もついてきません。ちょっとした優越感に浸っていました(笑)
~35km-2:13'59(18'00)【167/170】


しかしそんな好調も長くは続きません。急激なペースアップが災いして、35kmを過ぎたあたりから太腿前面の張りが大きくなってくるのが分かりました。とりあえず体は元気なのですが、奮起を期待してカーボショッツを補給。少し苦しくなってきましたがペースは出来るだけ落とさないように心掛けます。
実際にもペースをある程度維持することは出来ていました。周りのランナーよりもペースはまだ速かったので、これが気持ちを切らさずに走れた要因かも知れません。
あとスポンジの水を脚にたっぷり掛けて冷却、これが意外と効果的でした。

序盤からずっと設定よりも遅いペースでレースが推移していただけに、ここまで全くゴールタイムの事を考えていませんでした。
ところが残り5kmの表示が出てきた辺りで時計を確認すると…あれ?もしかして頑張ればいい所まで行けるかも知れない…そう思うと多少ですが元気が出てきました。そして40kmを通過。
~40km-2:32'08(18'09)【168/171】


ここからゴールまではとにかく必死でした。終盤になって突然出てきた40分切りの可能性(ゴール後に待ち受ける故障の可能性も出てきましたが…笑)、後先は考えずに今は全力で脚を運ぶだけ。

橋を渡り左に曲がると、後は競技場まで一直線。ここでは意表を突くような強烈な向かい風に見舞われペースも若干鈍ります。いよいよ競技場、ゲートに設置されていた時計は2:38'40を回るところ
競技場ゲート前
あ~無理かも~…せめてあと10秒速ければ…と思いつつも最後まで諦めずにトラックを必死で走ります。第3コーナーの時計が2'39'20を越えました、思わず「間に合え~!」と声を出してしまいました(笑)
そして最後の直線、他のランナーもかなり必死でした。しかし残り数十メートルの所で無常にもゴールの時計は2:40'00を越えてしまいました。
~Fin-2:40'07(7'59)【171/174】


・ゴール後
レースの余韻に浸りつつ、筋肉痛に耐えながらホテルまで徒歩で戻りました。夜はラン友のお誘いを受けて、別府にて大分名物を堪能。
翌日は早めにホテルをチェックアウト、別府にて朝温泉に入りました。行きと同じく大分空港から羽田で乗り継いで夜19時頃に自宅に到着。こうして3日間の遠征が終わりました。


結果的に2006年の旭川ラソンに次ぐセカンドベスト、そして同じく2006年の沖縄マラソンの公認自己ベストを更新したにも関わらず、ちょっと微妙な感じなのは何故?(笑)
今回は自分の走力に対する自信のなさから、序盤は必要以上にペースを抑えてしまいましたが、今の状態でも工夫次第であと1~2分は速く走れるだろうという確信は持てました。
洞爺湖では気持ちと体を上手くシンクロさせて、最大限の力が発揮できるような準備をしていきたいです。
 
〈当時を振り返って〉
フルマラソン2時間40分以内、第54回までの参加標準記録です。
この記録を出して、この大会に参加することがモチベーションとなっていました。
…が、第55回の記念大会から参加標準記録が緩和されて、当時の持ちタイムでも参加できてしまいました。何となく自分の中では納得しきれない部分もありましたが、とにかく別大マラソンに参加することが出来て嬉しかったのを覚えています。
 
2007年は故障が長引いて不本意な年となり、思ったような練習もそれほど積めずに臨んだ別大マラソン。あまり入れ込み過ぎずに走れたのが、思わぬ好記録に繋がったと思います。そしてこの大会を経て、2008年は自身にとって飛躍の年になりました。洞爺湖ではまたまた失敗してしまいましたが、北海道マラソンで初の公認40分切りを達成。その一ヶ月後の別海パイロットマラソンで2時間33分台で走り、道マラの記録をさらに更新、そしてマラソンはここで一区切り。
2009年からはプライベートで困難人生のスタートとなりました^^;