人生、走れば好転!

2003年29歳から走り続けてます、そしてこれからも!

テイネトレイル2021に向けて③【3/21~28】

今週はちょっと疲労が溜まり気味

20日の50kmが思いのほか回復せず、疲労感を引きずったままの1週間。

・3/21(日) 15km-41:22'04(5'28/km)

・3/22(月) 通勤7km

・3/23(火) 0km〈娘の小学校卒業式で有給休暇〉

・3/24(水) 通勤7km

・3/25(木) 通勤7km

       10km-43'15(4'19/km)〈就業後〉

・3/26(金) 通勤7km

・3/27(土) 4.4km-20'47

       10km-47'08(4'43/km)

・3/28(日) 35km-3:07'37(5'21/km)

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サイクリングロードも所々走れるようになり、信号待ちをあまり気にせずに、走りに集中出来る季節が近づきつつあります。

28日は40kmオーバーをとも思いましたが、走り出しから脚が重く集中力も何となく散漫。幌見峠と小林峠を抜けて川沿で折り返す予定でしたが、それはやめて代わりにちょっとだけ寄り道。藻岩山スキー場登山口までの急登を上って、一般道を下るルートを。その後、豊平川沿いを進み、結局35km走って終了。

今回はクリオの腰バンドを装着して走ったので、腰痛はそれ程酷くならなかったのは収穫。

テイネトレイル2021に向けて②【3月第3週】

テイネトレイル、33km部門でエントリー完了

大会に向けてモチベーションを高める為、早めにエントリーを完了させました。

今週の通勤ランはほぼ最短ルートで。

・3/15(月) 通勤12km

・3/16(火) 通勤7km

・3/17(水) 通勤7km

・3/18(木) 通勤8km

・3/19(金) 通勤7km

・3/20(土) 50.5km-5:02'44(6'00/km)

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トレイルは雪がある程度なくなるまでお休み。

今の時期のトレイルは一番走りにくく、ロードのアップダウンで脚作り。

20日は円山から小別沢経由で、手稲山の平和の滝登山道入り口まで。

そこで折り返して盤渓峠を一旦円山まで降りて、幌見峠を再び上って小林峠。

30kmからの幌見峠の上りは、全然ペースが上がらず。

残り10kmは惰性で走って、何とか家までたどり着いた感じです。

細かいアップダウンの連続で、獲得標高は1000mを越えました。

 

相変わらず左坐骨の痛みは大きく出ましたが、これは仕方なくうまく付き合うとして。

体幹レーニングに加え、膝周り、腰周り、内腿はしっかり鍛えないと、本番では昨年と同様に終盤の失速は免れないと感じました。

テイネトレイル2021に向けて①【3月第2週】

SAPPORO★テイネトレイル2021、6月13日に開催決定!3月13日からエントリー開始されました。

自分はまだエントリーしていませんが、今回も33kmでエントリーする予定です。

 そこで備忘録も兼ねて、大会に向けてのトレーニング内容を更新していきたいと思います。

 

今年の1月と2月で手稲山3回、藻岩山2回、小林峠1回とトレーニングは続けていましたが、何となく走っていた感じで全く積み上がってはいません。むしろ昨年9月の同大会以降は、走力の低下が加速しているのは自覚していました。

加齢も含めて走力はかなり低下してると思われるので、まずはペースは気にせずに脚づくりから。

平日は職場往復の通勤ランのみ(最短7km)。週末に気が向いたら、長い距離を走ったりするのが現状です。

 

・3/8(月) 通勤7km

・3/9(火) 通勤12.5km

・3/10(水) 通勤16.5km

・3/11(木) 通勤7km

・3/12(金) 通勤11km

・3/13(土) 自宅⇄峠 38km-3:42'31(5'51/km)

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13日のトレーニングは自宅から幌見峠と小林峠を抜けて、真駒内の川沿で折り返すルート。路面はほぼアスファルトが出ていたので、ゲルカヤノで走りました。信号ストップ等も含めてトータルではキロ6分を切る位のペース。とりあえずは脚作りが目的なので、無理にペースは上げずに余裕を残しつつ走り切れれば…。筋力が低下しているようで、左の坐骨神経痛(持病)と腰に結構なダメージが残りました。3ヶ月後のレースに向けて、色々と強化する部分が満載です。

 

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第30回記念 別海町パイロットマラソン(レース編)

2008年10月5日、いよいよ当日の朝
6時に携帯のアラームをセットしていましたが、いつもの習慣もあってか5時半には目が覚めてしまいました。外を見ると空は快晴、気温はどうなんだろう?と窓を開けてみましたが、想像していたような寒さは感じませんでした。

朝食は7時ちょっと前からと前日に説明がありましたが、6時半過ぎに食堂に行くと、すでに朝食の準備がされていました。昨晩はご飯を3杯も食べましたが、今朝は赤飯を1杯のみ。おかずも和食中心でバランスや量も丁度良く、ケチらずに2食付きにして本当に正解でした。

チェックアウト後、7時40分過ぎの送迎バスに乗り、8時頃大会会場に到着。とりあえず荷物を持ってトラック横の芝生に場所を確保しました。気温が低いことを予想していたので、秋冬用のウィンドブレーカーを着ていましたが、気のせいか…結構暖かいなぁ。
会場では札幌で行われるレースではないか?と錯覚してしまう程、お知り合いの方が本当に多かったです。

ちょっと早いと思ったのですが、トイレタイムの関係もあるので9時前にアップを開始しました。サブトラックをビルドアップで4周し、5周目はゆっくり走っての計2km。ウィンドブレーカーを脱いで、長袖Tシャツで走っていたのですが、それでも結構汗だく。すぐに汗を拭いて、またウィンドブレーカーを着ました。やっぱり今日は気温がちょっと高めかもしれません。

再び軽くストレッチをしてから、いつものようにトイレに並び、スタート20分前には一通りの準備は完了しました。今回もランパンの簡易ポケットにはカーボショッツを2つ。気温はやや高めだと感じたので、手袋はしないことに。あとは快晴ということもあり、アディダスのサングラスを着用。そしてスタート10分前、予備のカーボショッツを1つ補給してから、スタート地点に向かいました。

スタート地点でもストレッチをしながら待機していると…やばい…お腹が~牛乳の飲み過ぎか?(笑)すでにスタートまで5分を切ってたので、超ダッシュでトイレまで
一旦自分の荷物の所まで戻り、念の為ストッパも飲みました。そして再び猛ダッシュでスタート地点に

…スタート2分前~何とか間に合いました。流しの代わりになったかも(^^;
前から5列目くらいに入り、深呼吸をして気持ちを落ち着けます。

 

そして午前10時
号砲と共に今年最後のレースがスタートしました!

今回の目標ペースは1キロ3分35秒~40秒で、5キロは18分をちょっと越えるくらい、さらにこの条件で平均心拍数が163前後で、中盤まで推移するような希望を持ちつつ走り出します。
スタート後はトラックを1周半してからロードへ。
ロードに出てからは徐々に順位を上げていき、1kmの通過が3分37秒と非常に良い感じです。
別海町内を抜けて、延々と続くであろうパイロットロードに出ます。
徐々に集団が形成されていき、自分は4人の第2集団に落ち着きました。
自分は集団の一番後ろを走っていましたが、左脇腹にちょっと痛みが…。
ただ序盤と言うこともあり精神的にまだ余裕があったので、落ち着いて深呼吸を繰り返していると、いつの間にか痛みはなくなっていました。
その間にも5人のトップ集団からは徐々に離れていきましたが、とにかく今はこの集団で焦らず行こうと判断。

5km通過 18'17【163/168】

自分の感覚よりも実際のペースはちょっと遅い気はしましたが、この向かい風を考えると問題のない遅れです。
空は快晴でしたが風はまだ冷たく、手がちょっと寒い…。
自分は相変わらず集団の1番後に隠れて、出来るだけ風の影響を受けないように心掛けていました。
最初の2km辺りから5kmまでは心拍数は常に160を越えていたのですが、ここにきて160を切る事が多くなってきてる。ペースが落ちたのかな?ちょっと楽に感じていました。
1km毎の距離表示でペースを確認すると、やっぱりキロ3分40秒を越えていました。
前方に10kmの関門が見えてきましたが、時計を見るとすでに18分を越えてる状況。
そして10kmの関門通過を待たず、自分はペースを上げ集団を抜け出しました。

f:id:k-satochi:20210305183454j:plain10km通過 36'50(18'33)【161/165】

正直、集団を抜け出すつもりはまだなかったのですが、このペースアップに対応してきたランナーは予想外に一人だけ。ただその方は精鋭集団「作.AC北海道」Nさんです。
しばらくは並走状態が続いていたのですが、徐々に自分は後ろに下がって縦列に戻りました。無理をせずに後に付いてはいましたが、心拍数が165を越えてきてたので、自分としてはこれ以上のペースアップは、後半の事を考えるとちょっと厳しいかも。
とりあえずペースは3'40前後まで戻り、心拍数も165前後で落ち着いてきました。

15km通過 55'13(18'23)【165/168】

ペースアップしたにもかかわらず、なかなかペースは上がりきらず。だからと言って心拍数は165前後なので、これ以上無理をする勇気は出てきません。とにかく今はNさんのペースに付いて行く事だけを考えて走っていました。
それにしても走っても走っても似たような風景…初めて走るコースなので飽きはしないのですが、ちょっと油断をすると遅いペースにはまる可能性も出てきそう。

どこかは忘れましたが、途中に「牛横断注意」の標識がありました。両親が会場に向かう時に見たと言ってたのはこれの事かな?
放牧されている牛も、ランナーの事など我関せずと言った感じで、牧草を食べ続けています。何とものどかな風景です。
そんな空気を乱す様に走り続けている自分に、ちょっと違和感を感じてしまいました(笑)

20km通過 1:13'21(18'08)【165/168】

ペースは道マラの時よりも速いとは思うのですが、心拍数が予定していたペースに対して、若干高めなのが気になりました。
気にはなりましたが、まだ脚も呼吸にも余裕は感じていたので、今のペースを維持するくらいなら十分可能だとも感じていました。それに折り返したら下りの追い風になるし、もう少し楽になるはず。

前方から先導の白バイがこちらに向かってくるのが見えました。いよいよトップ集団が折り返してきたようです。
折り返し直後にペースの切り替えがあったのか、集団がちょっとバラけて縦長になっていました。
トップ争いの中にはNさんと同じ所属チームで、優勝候補でもあるMさんの姿もありました。そのMさんがNさんの存在に気付き、右手を大きく上に上げました。そしてそれに呼応するようにNさんも右手を大きく上に上げ…嫌な予感が。
そしてすれ違い様、「バシッ!」と豪快にハイタッチを交わしました。
…やっちゃった。
こういうのってお互いに凄く気合が入るんですよね、自分も逆の立場だったらアドレナリン出まくりなはず。
でもこれが何故嫌な予感かと言うと…
やっぱりNさんのペースが上がりました~

一気に離されてしまいそうになりましたが、ここは多少無理をしてでもペースアップに対応した方が良いと判断。そして自分達も折り返します。
急激なペースアップでこれまでの均衡が崩れ、一気に緊張感も高まります。
心拍数も170を越える勢い…脚はまだまだ動くものの、絶対にヤバイ。かと言って、今更後には引けない気持ちもあり複雑な心境。

自分も折り返し後は、積極的にお知り合いの皆さんに声を掛けたり手を上げたりして、気持ちを盛り上げていきます。22kmを通過するときに、何気なく時計を見ると6'4○…
一瞬目を疑いました。キロ3分半を軽く切ってます。
当然のように危機感を感じましたが、それと同時に自分に対する期待感も膨らみます。
ここに来てこんなペースで走れてしまうとは。と言ってもまだ半分を過ぎただけなので、やっぱり不安の方が大きいのは事実。
予定通り22.5kmのスポンジポイントで、1つ目のカーボショッツを補給。
往路の給水では水だけの補給でしたが、復路に入ってからはスポーツドリンクも補給しました。

25km通過 1:30'51(17'30)【168/171】

折り返してからは追い風だったこともあり、ペースはキロ3'35を切る場面が多くなってきます。ただペースが速い割には、比較的余裕を持って走れていたと思います。
脚にもまだ余裕を感じる…このまま行ければ31~2分台も見えてきそうな勢い。
そう簡単に上手く行かないのは、今までの経験でも分かっていることですが、これまでにない走りが出来ている事は、間違いなく自信にもなっていました。

30km通過 1:48'46(17'55)【165/168】

ここで30kmの自己ベストを1分以上更新!
今年は走った全ての種目で自己ベスト更新を狙っていたので、参考記録ながらちょっと嬉しかったです。さすがにハーフの自己ベストをこのレースで狙うことは出来ませんでしたが(笑)
ただこの5kmのラップは、体感で思ってたよりもタイムは遅めだったので、そろそろ見えない疲労が出てきたのかも。
とは言え、前のランナーの背中は徐々に大きくなってきています。Nさんから度々励ましを受けながら、その気持ちに応えれるように集中力を維持し続けます。
32.5kmのスポンジポイントで2つ目のカーボショッツを補給。

35km通過 2:06'50(18'04)【166/168】

前の5kmよりも頑張ったつもりでしたが、微妙にペースは落ちてきてます。でも気持ちはまだ前向きです。
この時点で、脚には明確な疲労感が出始めてきましたが、心肺機能的には若干余裕を感じていました。
自分はここで思い切ってスパートすることに

38km辺り(?)でとうとう5位のランナーを抜きました。
抜いた後に、付いてくる気配はありませんでしたが、気を抜かずに前を見据えて走り続けます。確か前にはもう一人いたと思ったのですが、この位置からでは確認できません。
まだ脚は動くぞと自分に言い聞かせ、さらに前を追います。でも残り5km…4km…3km…と距離を重ねる毎に、脚がどんどん上がらなくなってきました。

40km通過 2:25'10(18'20)【167/170】

別海町内のコースに戻ってきました。
この5kmを必死で頑張ったお陰で、最小限のペースダウンで抑える事は出来ましたが、40km地点を通過したとたん、突然と言っていい位に脚が動かなくなってしまいました。よくフルマラソンでは30kmや35kmの壁があると言いますが、自分は40kmに壁があったようです(笑)
そんなこともあり、ここからゴールまでの僅か2km…ここからが本当の地獄の始まりとなりました。

一旦は引き離したはずの、6位のランナーとの距離が気になり始めました。コーナーの度に後を確認しますが、やっぱり近づいてる~
6位のランナーのすぐ後ろには、Nさんの姿も見えます。
沿道からも『後から来てるよ~』と
…はい、分かってます
さらに『すぐ後からきてるぞ~』
…もう言わないで~…笑
この時点で、確実に二人に抜かされると思いました。

残り1km。まだ1kmもあるの?…絶対逃げ切れない、絶対無理だ…。
ここまで頑張ったんだから、最後に抜かされたって、それは仕方ないだろう。
などと色々言い訳を考え始める始末。
その一方で、自分は今本当に全力で走ってるのか?
追い込んでるのは気持ちだけで、実際はもう少し何とかなるんじゃないのか?
そして何よりも、ここで諦めたら、目標を達成したとしても、あとから絶対に後悔するに決まってる。
苦しいのは気のせいではないけれど、少し冷静になる事で集中力を今一度高めることは出来るかも。
まだ疲労度の少ない筋肉はどこだろう?腰から膝裏かけての裏面はほぼ限界。でも腿前面と足首はまだ何とかなりそうか。
上体をやや前傾させて腕振りを大きくし、腿を今までよりも高く上げ、ストライドを伸ばします。そして足首を使って思いっ切り脚を蹴り上げる事を繰り返す、その影響でフクラハギと脛が張ってくるのがわかりました。

競技場に至る最後の直線では向かい風の追い討ち。
ペースは全く上がりませんが、最大限の努力はし続けます。
そしてコースを右折し、やっとトラックに戻ってきました。
でもやっぱりここでも『後来てる~頑張れ~』です。
…そう、ここまで来たら絶対に逃げ切るしかない。
何度も後を振り返りながら必死で走りました。本当にキツい~~~~~~
そして最後の直線に入った所で逃げ切れる事を確信、それでもスピードを緩めずに全力でゴールに駆け込みました

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42.195km 2:33'34(8'24)【168/174】

地元の高校生から、完走賞としてバスタオルをかけてもらい、さらにシャケ1匹を手渡されました。
6位の選手とは6秒差で何とか逃げ切ることが出来、本当に最後は頑張ったと思います。
そしてゴール後は、何故か脛が攣りそうになりました…こんなの初めてです

表彰式では賞状、メダル、カップの他に、持ちきれないほどの副賞を頂きました。
しばらくは食べる物に困る事はないでしょう(笑)

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表彰式が終わってからは温泉で汗を流し、その後は本当は色々食べたかったのですが、消耗しすぎて食欲が全くありませんでした。中標津空港から夕方の便で札幌へ。


今回の別海町パイロットマラソンでは、目標である2時間35分切りを達成することが出来ました。次の目標はやっぱり2時間30分切りという事になるのですが、これを達成するには今の自分では根本的に力不足だと感じています。
今後の頑張り次第では達成出来るかもしれないですし、あるいは一生達成出来ない大きな壁かもしれません。
とにかく自分自身の可能性を信じることが大切だと思うので、これからも強い気持ちを持って記録に挑戦し続けて行くつもりです!
でもとりあえずは、しばらく休んでしっかり充電したいと思います。

最後になりましたが、今回走られた皆さん、そして応援してくれた皆さん、本当にお疲れ様でした。そしてこの素晴らしい大会の運営に携わった沢山の方々に、心から感謝申し上げます。

 

〈当時を振り返って②〉

ここでの走りで、2時間半切りという明確な目標を持つことが出来ました。結局今現在に至るまでに、目標を達成することは叶いませんでしたが、マラソンを走っていて一番充実していたのが2008年でした。走り始めた当初は、3時間を切ることすら目標にしていなかった事を考えると、とてつもない進歩だったと思います。またこんな走りが出来たら…と思う時もありますが、心身共にそこまで追い込むのは、さすがにもう無理です。

 

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びわ湖毎日マラソンを見ても…

今日、最後の『びわ湖毎日マラソン』が開催されました。

富士通鈴木健吾選手が、アフリカルーツ以外の人種で初の2時間4分台を叩き出して優勝!!

テレビを見ながら久々に興奮しました。

天候にも恵まれたようで、他の出場選手も好記録が続出し、大会として有終の美を飾れたのではないのでしょうか。

出場された選手の皆さん、大会関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした。

 

そんなレースを見て、モチベーションが上がった!と言いたいところですが、なかなか簡単に意欲が湧いてきません。コロナ禍での生活を続ける中で、精神的にネガティブ思考になってしまった影響なのか…根本的な何かが欠如してしまった感覚です。

 

自分自身もかつては、フルマラソンで2時間30分を切って、びわ湖毎日マラソンに出場することが目標になっていた時期がありました。

 

そのチャンスが2011年に訪れます。6月の千歳JALラソンを2時間33分で優勝。8月の北海道マラソンを2時間39分台で走り、福岡国際マラソン(当時の参加B標準2時間42分以内)に出場することを決めました。そこで2時間半を切り、『びわ湖』を走りたいと考えていたのですが、福岡で見事に撃沈!…そして現在に至ります。

 

テレビを見ながら色々な思いが去来していました。やるべき事は色々あるはずなのに、走ってる場合なのか?ここ数年は本当にそんな気持ちになることが多々あります。行動に移せない自分が駄目なのですが、正直自分自身に対して諦めの気持ちが…。

 

結局、走りには行ったのですが、それは現実逃避の意味合いが強かったです。

自分と比べものにならない程の大変の思いをして、必死で生きている人たちが沢山いるのに、弱い自分が嫌になってしまいます。

それでも生きていかなければ!これからも自問自答の日々が続いていきます。

第30回記念 別海町パイロットマラソン(準備編)

今から12年程前、まだまだモチベーションが高かった時期です。懐かしさもありますが、この翌年から徐々に自分自身の精神力が色々な意味で削られていきます。そして走り続ける意味を今考えても、良かったのか悪かったのか?…今でも結論は出ません。前を向いていくためにも、過去を振り返る事は良いきっかけになるはず!前置きはこの辺にして、当時にタイムスリップしたいと思います。
 
2008年10月5日開催
この日は今年の最大の目標レース、初参加でもある別海町パイロットマラソンです。
さらに2003年にマラソンを始めて6年、その集大成となるレースでもありました。
 2時間33分34秒(公認自己ベスト) 総合5位

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これまでのフルマラソンでは度重なる故障等で、なかなか納得の出来るトレーニングを続けることが出来ず、悔しい思いを沢山してきました。
でも今回だけは違いました。
 
今年の洞爺湖ラソン以降は、自分なりにトレーニングの内容やケアに関して見直しを図り、その結果大きな故障もなく、この日まで辿り着く事が出来たと思います。
それ程難しい事ではないかもしれませんが、自分が気をつけた点はこんな感じです。

サプリメント
レーニングの継続が途切れてしまう原因として、故障以外にも「風邪」があります(別大後のように)。疲労の蓄積に伴い、体の抵抗力は下がってしまいます。追い込んだポイント練習やレース後には特に注意が必要だったので、4月頃からビタミン類のサプリメントを摂取していました。その他に鉄やプロテインで体の中からも強化を。
9月に入ってからは、アミノバイタルproも購入して、疲労回復の促進に努めました。

・平日の朝ジョグを早めに切り上げる
ただ単に距離を抑えることが目的ではなく、この余った時間でストレッチ等の時間を増やす事が目的です。考え方は基本的に時間のある週末も一緒で、走った分はしっかりケアの時間を設けました。時間の許す限りにひたすら走り込んでいた3月…その失敗を繰り返さない為に、これだけは徹底的に守りました。

・クロストレーニングの割合を増やす
通勤時や移動には極力自転車を使用。夜のジムでも最低週1回はスイムを行い、脚でだけではなく体全体に適度な刺激を与え続けました。さらにマシン等による筋トレも、走力アップを狙うというよりは、故障防止の意味合いが大きかったです。

・クロカン走と持続走の融合練習
これが走力アップの一番の要因だった…と言っても過言ではありません。
5月から始めたモエレ沼公園での、週末の早朝クロカン走。モエレ沼公園には遊歩道や舗装された道路はあるのですが、自分はあえて草の上を選んで走ってました。
さらに出来るだけアップダウンを入れて、常に脚筋に刺激を与え続けれるようなコースを選定。プレイマウンテン山頂と野外ステージ奥を折り返し地点とした、U字型に往復する3kmコースです。

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最初はキロ5分でも30km程で限界だったのが、8月にはキロ4分半を切るペースで42kmやキロ4分で30km等。
ロードで走るのに比べるとペース自体は驚く様なものではありませんが、脚にかかる負荷は相当なものでした。
そしてなにより脚筋への負荷は大きくても、関節等にかかる負担は少なく、結果的に故障防止と走力アップの一石二鳥になりました。
その反面、泣きそうになる位キツかったので、週末を迎える事がいつも憂鬱だった記憶が…笑

これらを数ヶ月継続出来たことにより、9月には早朝では不可能と思っていたインターバル等のスピード練習もこなせる様になり、精神的な余裕度と強さも増したと思います。


5月からレースに至るまでの流れを簡単に説明します。

5月の走行距離(290km)
2月の別大では準備期間が短かった割に、思った以上の走りが出来たので、洞爺湖への期待も高まりました。ただ3月に680kmを走り故障…洞爺湖が勝負のレースでしたが、故障明けによる練習不足が響いて2時間49分。何とか故障も完治し気持ちも前向きに、10月の別海を目標に定めた時期でもあります。因みに4月の走行距離は85km…笑。ただスイムはかなり頑張りました。

6月の走行距離(300km)
距離はそれ程伸びませんでしたが、レースを利用して良い感じでトレーニングが噛み合ってきました。まだ無理をする時期ではなかったので、精神的にもまだ楽に過ごせていたと思います。トレーニングの継続により、走力の復活を実感。

7月の走行距離(490km)
本格的な走り込みの開始です。週末のモエレでのクロカン走をメインに、大きな故障もなくトレーニングが継続できました。平日の朝ジョグのペースも自然と上がってきて、モチベーションも徐々にアップ。

8月の走行距離(500km)
クロカン走の強度も次第に上がってきて、着実に脚筋力が強化されてることを実感。別海前の最後の40km走として走った北海道マラソンでは、予想外の自己ベスト更新に、自信を深めることが出来ました。残り一ヶ月、気を抜かずにさらに集中力を高めていこうと決意。

9月の走行距離(320km)
北海道マラソンでちょっと無理をしてしまい、風邪を引いてしまいました…気をつけてたんですが。
ただ体重増加は覚悟の上で、栄養補給を怠らなかった結果、何とか最小限のダメージで押さえ込むことは出来たと思います。
 
仕上げとして、ロードでのペース走を予定していましたが、あえてモエレでのクロカン走にこだわり続けました。そして早朝のインターバル(2kmx5)を2回程慣行。
残り2週間はサーモン駅伝や区民マラソンでスピードの刺激を入れて、最終調整まで本当に上手くいったと思います。
距離を落とす過程では、今回は2週間前から炭水化物を控え始め、体重の増加も最小限に抑えることが出来ました。ただ開始から1週間は空腹感も影響してか、体調の波が激しく苦労しました。

今回が本当に初めてです。これ程予定通りにトレーニングを遂行出来たのは。
この成功例は、今後記録を狙う時の自身の参考になるはずなので、ちょっと詳しく記録しておきました。
 
~レース前日~
行程は4日(土)の昼の便で丘珠から中標津へ。
空港からバスで別海町内のホテルマグハウス。
5日(日)のマラソン終了後は夕方の便で再び中標津から丘珠。
走ることに集中したかったので、ちょっと割高でしたが、往復飛行機としました。

4日は10時半頃に自宅を車で出発
妻と息子(当時4歳)が見送りに空港まで同行。丘珠空港の入口で赤い羽共同募金をやっていたので、息子に100円を渡して募金をしてきました。その時息子は羽を刺してくれたおじさんに「パパ、別海でマラソン走ってくるんだよ」と得意気に話していたのが、ちょっと面白かったです。
定員100人にも満たないプロペラ機に乗り、中標津に向けて出発しました。
丁度、プロペラの横の席だったので、結構うるさかったです。でも想像していたほどの揺れはなく、思ったよりも快適に過ごせました。

1時間弱で中標津空港に到着。
外は猛烈な豪雨。タラップを降りたところで傘を渡されましたが、それでも結構濡れました。
別海行きバスの乗車券を購入し、バスに乗ろうとしますが…どのバス?
受付で聞こうと思い再び空港の中へ、その時空港の中から運転手が出てきたので、このバスですよと。これってマイクロバスだよね…てっきり普通の路線バスを想像していたので、ちょっと驚きました。
乗客は自分も入れて7~8人。バスの中で妻に作ってもらったおにぎり2個と、豆大福1個を食べて昼食は終了。

ホテルに到着しましたが、まだ13時過ぎ…ちょっと早すぎたなぁ。
チェックインは15時からでしたが、特に問題もなくチェックインできたので一安心。
部屋はビジネスホテルの様な感じで、部屋自体もまだ新しいのか結構きれいでした。
しばらくは部屋でテレビを見ながら、ストレッチをしてくつろいでいました。
ちょっと退屈してきたので、気分転換に散歩に出かけることに。
それにしても全然人がいないぞ…本当に明日レースがあるのか?と言う位、町は平静を保っていました。
その脚でプロテイン用の牛乳を買いに、近くのスーパーへ。
「べつかいの牛乳屋さん」200mlを2パックと、蒸しパンを1つ買いました。
ホテルへ戻ってから、3時のおやつ代わりに早速蒸しパンを食す。

16時過ぎに開会式行きの送迎バスに乗って会場へ。
ナンバーカードをもらってから、パイプ椅子に座ってプログラムを眺めていました。
開会式の最後に抽選会があったのですが、くじ運の悪い自分には無縁だなと思っていた矢先…自分の持っている抽選券番号を言われてビックリ!
浅井えり子さんから賞品のジャンパーとTシャツを受け取り、折角なのでしっかり握手もしてもらいました。いや~本当にビックリした。
縁起が良いのか、運を使ってしまったのか…ちょっと微妙な心境。

開会式終了後は牛乳とアイスの提供があり、参加者達が一斉に殺到。もみくちゃにされながらも牛乳のゲットに成功。これで昼間に購入した分と合わせて3パックで600ml、プロテイン用として今夜と明朝の分が確保出来ました。
 
ホテルに戻ってから19時頃に夕食。
合宿で実業団の選手達が泊まりに来るだけあってか、おかずのバランスも良くなかなかヘルシーな印象を受けました。そして自分はそのおかずで、白米2膳と玄米1膳を食べてしっかりカーボローディング。数日前まで炭水化物を控えていただけに、体にエネルギーが満ち溢れてくる感じ…って、それはちょっと大袈裟でしたか。

部屋に戻ってから明日の準備を済ませて、ちょっと遅めの23時頃に就寝しました。「ルーキーズ」の総集編を見始めてしまった事で、風呂に入るタイミングを完全に逃してしまいました。ただレース前日にも関わらず、思ったよりもリラックスして過ごせていたのは、とても良い傾向と前向きに捉えていました。
 
〈当時を振り返って〉
このブログではまだ触れてませんが、2011年に次いで追い込んだシーズンでした。このレースで公認自己ベスト(恐らく生涯ベスト)を出す事が出来たのですが、当時のモチベーションは今では考えられない程の高さでした。このトレーニングを今出来るかと言われたら、正直100%無理です。色々な意味で恵まれていた時期…と言いますか最後のあがきだったのか?と今考えると思ってしまいます。
 

手稲山(平和の滝コース)冬季

・冬の手稲山はキツいが、夏よりは安全かも

昨シーズンからトレイルラン目的で、手稲山を夏冬問わずに10回以上登っています。

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 登山道入口(平和の滝コース)

2021年2月22日にトレーニングがてら、冬の手稲山の写真を撮ってきたので紹介します。

 

冬は自宅から手稲山までロードを走って約18km…行きは良いのですが、帰りは大体瀕死。夏は自転車で現地まで行けるので、トレイルメインで楽しめます。

 

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8時50分に自宅を出発して1km付近、環状北大橋からの手稲山はまだまだ遠い…。

この日はほぼ晴天、比較的気温も高めでコンディションは良好。

 

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更に環状通りを西へ、自宅から7km過ぎ。北大構内を抜け、エルムトンネル西側からの手稲山

 

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環状通りから下手稲通り(真っ直ぐ来ただけ)、10km地点の農試公園からの手稲山。多少山は近づいているのだろうけど、まだ先という感じ。

 

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これは農試公園横の歩道ですが、この日は基本的にツルツル・テカテカ状態でまともに走れません!簡易アイゼン装着すれば良かった…と、出発前に必要ないと判断したのが、ちょっと悔やまれます。

すぐ先を左折して新琴似通りに入り、ここから山に向かって緩やかな上り傾斜が始まります。

 

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新琴似通りから手稲左股通り(ここも真っ直ぐ来ただけ)、15km過ぎの西野神社からの手稲山。登山道入り口まで残り3kmちょっと~。

 

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この青看板を右折すると、1km程で登山道入り口。明らかな勾配を感じられる程の上りが始まります。

 

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ガーミン計測で、自宅から18.7km。このまま帰っても37kmオーバーだから良いかな…と思うほどの疲労感がすでにあり。それもこれもツルツル路面のせい。

実はこの10日程前にも手稲山に来たのですが、山道の途中でコースを外れてしまい山頂は断念。吹雪でトレースも全くなくなってしまったので、途中で引き返しました。

 

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スタート直後はしばらく緩やかな上りなので、なかなか気持ち良く走れます。

 

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1km付近。まだまだ勾配は緩やか。

 

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ここだ!前回はここを真っ直ぐ行って迷子になりました。でも夏のルートはここを真っ直ぐだったはず。でも今日は右のルートを進みます。

 

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2km地点。分岐から突然始まった急登を終え、稜線沿いの道を進みます。

 

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ん?道が合流しています。振り返ると左が今日来た道、右が本来の登山道か?

 

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ガーミンのルートデータです。左が今回の2月22日、右が今年の1月2日に走ったルートです。やっぱりいつもと別ルートで、ショートカットになってました。確かにいつもは小川を3回渡るのですが、この日は1回だけでした。

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ガレ場(冬バージョン)です。夏は結構危険を感じながら進むのですが、冬は滑り落ちても大丈夫かな?と、そこまで危険な感覚はなかったです。

 

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ガレ場を抜けて急登を終えると、テイネハイランドの山頂駅のアナウンスが聞こえてきます。

 

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4km付近、山頂までもう少し。この辺に来ると決まった道がなく、ほぼラッセル状態。

 

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大きなケルン。初めて手稲山を登った時に、何故か山頂と勘違いした場所…笑

 

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ケルンから防雪柵沿いにちょっと進むと、ゲレンデ山頂駅。札幌市内が一望できる大パノラマ。いつも思うのですが、スキーヤーやボーダーが沢山いるので何か変な感じ。

 

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標高1023m手稲山の山頂に到着!ガーミンによる参考距離ですが、登山道入り口から4.5km。正規のルートを1kmショートカットしてましたが、その代わりに急登が結構厳しかった。

 

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積雪で手稲神社奥宮が完全に埋まっていました。画像には写ってませんが、鳥居の上部が辛うじて見える程度。

 

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晴天ではなかったものの、山頂からの風景は最高でした!

誰もいない山頂で10分ちょっと休憩して、来た道を引き返しました。

今日のルート(片道4.5km)で上りが1時間12分下りが40分

最近はトレーニング不足もあり、30km以降は脚が全く上がらず、帰りは本当に瀕死状態でした。

トータル距離46.6kmで6時間20分。

 

やっぱり雪山は良いトレーニングになります!