人生、走れば好転!

2003年29歳から走り続けてます、そしてこれからも!

びわ湖毎日マラソンを見ても…

今日、最後の『びわ湖毎日マラソン』が開催されました。

富士通鈴木健吾選手が、アフリカルーツ以外の人種で初の2時間4分台を叩き出して優勝!!

テレビを見ながら久々に興奮しました。

天候にも恵まれたようで、他の出場選手も好記録が続出し、大会として有終の美を飾れたのではないのでしょうか。

出場された選手の皆さん、大会関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした。

 

そんなレースを見て、モチベーションが上がった!と言いたいところですが、なかなか簡単に意欲が湧いてきません。コロナ禍での生活を続ける中で、精神的にネガティブ思考になってしまった影響なのか…根本的な何かが欠如してしまった感覚です。

 

自分自身もかつては、フルマラソンで2時間30分を切って、びわ湖毎日マラソンに出場することが目標になっていた時期がありました。

 

そのチャンスが2011年に訪れます。6月の千歳JALラソンを2時間33分で優勝。8月の北海道マラソンを2時間39分台で走り、福岡国際マラソン(当時の参加B標準2時間42分以内)に出場することを決めました。そこで2時間半を切り、『びわ湖』を走りたいと考えていたのですが、福岡で見事に撃沈!…そして現在に至ります。

 

テレビを見ながら色々な思いが去来していました。やるべき事は色々あるはずなのに、走ってる場合なのか?ここ数年は本当にそんな気持ちになることが多々あります。行動に移せない自分が駄目なのですが、正直自分自身に対して諦めの気持ちが…。

 

結局、走りには行ったのですが、それは現実逃避の意味合いが強かったです。

自分と比べものにならない程の大変の思いをして、必死で生きている人たちが沢山いるのに、弱い自分が嫌になってしまいます。

それでも生きていかなければ!これからも自問自答の日々が続いていきます。

第30回記念 別海町パイロットマラソン(準備編)

今から12年程前、まだまだモチベーションが高かった時期です。懐かしさもありますが、この翌年から徐々に自分自身の精神力が色々な意味で削られていきます。そして走り続ける意味を今考えても、良かったのか悪かったのか?…今でも結論は出ません。前を向いていくためにも、過去を振り返る事は良いきっかけになるはず!前置きはこの辺にして、当時にタイムスリップしたいと思います。
 
2008年10月5日開催
この日は今年の最大の目標レース、初参加でもある別海町パイロットマラソンです。
さらに2003年にマラソンを始めて6年、その集大成となるレースでもありました。
 2時間33分34秒(公認自己ベスト) 総合5位

f:id:k-satochi:20210227172956j:plain

これまでのフルマラソンでは度重なる故障等で、なかなか納得の出来るトレーニングを続けることが出来ず、悔しい思いを沢山してきました。
でも今回だけは違いました。
 
今年の洞爺湖ラソン以降は、自分なりにトレーニングの内容やケアに関して見直しを図り、その結果大きな故障もなく、この日まで辿り着く事が出来たと思います。
それ程難しい事ではないかもしれませんが、自分が気をつけた点はこんな感じです。

サプリメント
レーニングの継続が途切れてしまう原因として、故障以外にも「風邪」があります(別大後のように)。疲労の蓄積に伴い、体の抵抗力は下がってしまいます。追い込んだポイント練習やレース後には特に注意が必要だったので、4月頃からビタミン類のサプリメントを摂取していました。その他に鉄やプロテインで体の中からも強化を。
9月に入ってからは、アミノバイタルproも購入して、疲労回復の促進に努めました。

・平日の朝ジョグを早めに切り上げる
ただ単に距離を抑えることが目的ではなく、この余った時間でストレッチ等の時間を増やす事が目的です。考え方は基本的に時間のある週末も一緒で、走った分はしっかりケアの時間を設けました。時間の許す限りにひたすら走り込んでいた3月…その失敗を繰り返さない為に、これだけは徹底的に守りました。

・クロストレーニングの割合を増やす
通勤時や移動には極力自転車を使用。夜のジムでも最低週1回はスイムを行い、脚でだけではなく体全体に適度な刺激を与え続けました。さらにマシン等による筋トレも、走力アップを狙うというよりは、故障防止の意味合いが大きかったです。

・クロカン走と持続走の融合練習
これが走力アップの一番の要因だった…と言っても過言ではありません。
5月から始めたモエレ沼公園での、週末の早朝クロカン走。モエレ沼公園には遊歩道や舗装された道路はあるのですが、自分はあえて草の上を選んで走ってました。
さらに出来るだけアップダウンを入れて、常に脚筋に刺激を与え続けれるようなコースを選定。プレイマウンテン山頂と野外ステージ奥を折り返し地点とした、U字型に往復する3kmコースです。

f:id:k-satochi:20210227173712j:plain

最初はキロ5分でも30km程で限界だったのが、8月にはキロ4分半を切るペースで42kmやキロ4分で30km等。
ロードで走るのに比べるとペース自体は驚く様なものではありませんが、脚にかかる負荷は相当なものでした。
そしてなにより脚筋への負荷は大きくても、関節等にかかる負担は少なく、結果的に故障防止と走力アップの一石二鳥になりました。
その反面、泣きそうになる位キツかったので、週末を迎える事がいつも憂鬱だった記憶が…笑

これらを数ヶ月継続出来たことにより、9月には早朝では不可能と思っていたインターバル等のスピード練習もこなせる様になり、精神的な余裕度と強さも増したと思います。


5月からレースに至るまでの流れを簡単に説明します。

5月の走行距離(290km)
2月の別大では準備期間が短かった割に、思った以上の走りが出来たので、洞爺湖への期待も高まりました。ただ3月に680kmを走り故障…洞爺湖が勝負のレースでしたが、故障明けによる練習不足が響いて2時間49分。何とか故障も完治し気持ちも前向きに、10月の別海を目標に定めた時期でもあります。因みに4月の走行距離は85km…笑。ただスイムはかなり頑張りました。

6月の走行距離(300km)
距離はそれ程伸びませんでしたが、レースを利用して良い感じでトレーニングが噛み合ってきました。まだ無理をする時期ではなかったので、精神的にもまだ楽に過ごせていたと思います。トレーニングの継続により、走力の復活を実感。

7月の走行距離(490km)
本格的な走り込みの開始です。週末のモエレでのクロカン走をメインに、大きな故障もなくトレーニングが継続できました。平日の朝ジョグのペースも自然と上がってきて、モチベーションも徐々にアップ。

8月の走行距離(500km)
クロカン走の強度も次第に上がってきて、着実に脚筋力が強化されてることを実感。別海前の最後の40km走として走った北海道マラソンでは、予想外の自己ベスト更新に、自信を深めることが出来ました。残り一ヶ月、気を抜かずにさらに集中力を高めていこうと決意。

9月の走行距離(320km)
北海道マラソンでちょっと無理をしてしまい、風邪を引いてしまいました…気をつけてたんですが。
ただ体重増加は覚悟の上で、栄養補給を怠らなかった結果、何とか最小限のダメージで押さえ込むことは出来たと思います。
 
仕上げとして、ロードでのペース走を予定していましたが、あえてモエレでのクロカン走にこだわり続けました。そして早朝のインターバル(2kmx5)を2回程慣行。
残り2週間はサーモン駅伝や区民マラソンでスピードの刺激を入れて、最終調整まで本当に上手くいったと思います。
距離を落とす過程では、今回は2週間前から炭水化物を控え始め、体重の増加も最小限に抑えることが出来ました。ただ開始から1週間は空腹感も影響してか、体調の波が激しく苦労しました。

今回が本当に初めてです。これ程予定通りにトレーニングを遂行出来たのは。
この成功例は、今後記録を狙う時の自身の参考になるはずなので、ちょっと詳しく記録しておきました。
 
~レース前日~
行程は4日(土)の昼の便で丘珠から中標津へ。
空港からバスで別海町内のホテルマグハウス。
5日(日)のマラソン終了後は夕方の便で再び中標津から丘珠。
走ることに集中したかったので、ちょっと割高でしたが、往復飛行機としました。

4日は10時半頃に自宅を車で出発
妻と息子(当時4歳)が見送りに空港まで同行。丘珠空港の入口で赤い羽共同募金をやっていたので、息子に100円を渡して募金をしてきました。その時息子は羽を刺してくれたおじさんに「パパ、別海でマラソン走ってくるんだよ」と得意気に話していたのが、ちょっと面白かったです。
定員100人にも満たないプロペラ機に乗り、中標津に向けて出発しました。
丁度、プロペラの横の席だったので、結構うるさかったです。でも想像していたほどの揺れはなく、思ったよりも快適に過ごせました。

1時間弱で中標津空港に到着。
外は猛烈な豪雨。タラップを降りたところで傘を渡されましたが、それでも結構濡れました。
別海行きバスの乗車券を購入し、バスに乗ろうとしますが…どのバス?
受付で聞こうと思い再び空港の中へ、その時空港の中から運転手が出てきたので、このバスですよと。これってマイクロバスだよね…てっきり普通の路線バスを想像していたので、ちょっと驚きました。
乗客は自分も入れて7~8人。バスの中で妻に作ってもらったおにぎり2個と、豆大福1個を食べて昼食は終了。

ホテルに到着しましたが、まだ13時過ぎ…ちょっと早すぎたなぁ。
チェックインは15時からでしたが、特に問題もなくチェックインできたので一安心。
部屋はビジネスホテルの様な感じで、部屋自体もまだ新しいのか結構きれいでした。
しばらくは部屋でテレビを見ながら、ストレッチをしてくつろいでいました。
ちょっと退屈してきたので、気分転換に散歩に出かけることに。
それにしても全然人がいないぞ…本当に明日レースがあるのか?と言う位、町は平静を保っていました。
その脚でプロテイン用の牛乳を買いに、近くのスーパーへ。
「べつかいの牛乳屋さん」200mlを2パックと、蒸しパンを1つ買いました。
ホテルへ戻ってから、3時のおやつ代わりに早速蒸しパンを食す。

16時過ぎに開会式行きの送迎バスに乗って会場へ。
ナンバーカードをもらってから、パイプ椅子に座ってプログラムを眺めていました。
開会式の最後に抽選会があったのですが、くじ運の悪い自分には無縁だなと思っていた矢先…自分の持っている抽選券番号を言われてビックリ!
浅井えり子さんから賞品のジャンパーとTシャツを受け取り、折角なのでしっかり握手もしてもらいました。いや~本当にビックリした。
縁起が良いのか、運を使ってしまったのか…ちょっと微妙な心境。

開会式終了後は牛乳とアイスの提供があり、参加者達が一斉に殺到。もみくちゃにされながらも牛乳のゲットに成功。これで昼間に購入した分と合わせて3パックで600ml、プロテイン用として今夜と明朝の分が確保出来ました。
 
ホテルに戻ってから19時頃に夕食。
合宿で実業団の選手達が泊まりに来るだけあってか、おかずのバランスも良くなかなかヘルシーな印象を受けました。そして自分はそのおかずで、白米2膳と玄米1膳を食べてしっかりカーボローディング。数日前まで炭水化物を控えていただけに、体にエネルギーが満ち溢れてくる感じ…って、それはちょっと大袈裟でしたか。

部屋に戻ってから明日の準備を済ませて、ちょっと遅めの23時頃に就寝しました。「ルーキーズ」の総集編を見始めてしまった事で、風呂に入るタイミングを完全に逃してしまいました。ただレース前日にも関わらず、思ったよりもリラックスして過ごせていたのは、とても良い傾向と前向きに捉えていました。
 
〈当時を振り返って〉
このブログではまだ触れてませんが、2011年に次いで追い込んだシーズンでした。このレースで公認自己ベスト(恐らく生涯ベスト)を出す事が出来たのですが、当時のモチベーションは今では考えられない程の高さでした。このトレーニングを今出来るかと言われたら、正直100%無理です。色々な意味で恵まれていた時期…と言いますか最後のあがきだったのか?と今考えると思ってしまいます。
 

手稲山(平和の滝コース)冬季

・冬の手稲山はキツいが、夏よりは安全かも

昨シーズンからトレイルラン目的で、手稲山を夏冬問わずに10回以上登っています。

f:id:k-satochi:20210223114613j:plain

 登山道入口(平和の滝コース)

2021年2月22日にトレーニングがてら、冬の手稲山の写真を撮ってきたので紹介します。

 

冬は自宅から手稲山までロードを走って約18km…行きは良いのですが、帰りは大体瀕死。夏は自転車で現地まで行けるので、トレイルメインで楽しめます。

 

f:id:k-satochi:20210223115407j:plain

8時50分に自宅を出発して1km付近、環状北大橋からの手稲山はまだまだ遠い…。

この日はほぼ晴天、比較的気温も高めでコンディションは良好。

 

f:id:k-satochi:20210223115740j:plain

更に環状通りを西へ、自宅から7km過ぎ。北大構内を抜け、エルムトンネル西側からの手稲山

 

f:id:k-satochi:20210223120709j:plain

環状通りから下手稲通り(真っ直ぐ来ただけ)、10km地点の農試公園からの手稲山。多少山は近づいているのだろうけど、まだ先という感じ。

 

f:id:k-satochi:20210223121056j:plain

これは農試公園横の歩道ですが、この日は基本的にツルツル・テカテカ状態でまともに走れません!簡易アイゼン装着すれば良かった…と、出発前に必要ないと判断したのが、ちょっと悔やまれます。

すぐ先を左折して新琴似通りに入り、ここから山に向かって緩やかな上り傾斜が始まります。

 

f:id:k-satochi:20210223122004j:plain

新琴似通りから手稲左股通り(ここも真っ直ぐ来ただけ)、15km過ぎの西野神社からの手稲山。登山道入り口まで残り3kmちょっと~。

 

f:id:k-satochi:20210223122417j:plain

この青看板を右折すると、1km程で登山道入り口。明らかな勾配を感じられる程の上りが始まります。

 

f:id:k-satochi:20210223122825j:plain

ガーミン計測で、自宅から18.7km。このまま帰っても37kmオーバーだから良いかな…と思うほどの疲労感がすでにあり。それもこれもツルツル路面のせい。

実はこの10日程前にも手稲山に来たのですが、山道の途中でコースを外れてしまい山頂は断念。吹雪でトレースも全くなくなってしまったので、途中で引き返しました。

 

f:id:k-satochi:20210223123748j:plain

スタート直後はしばらく緩やかな上りなので、なかなか気持ち良く走れます。

 

f:id:k-satochi:20210223123944j:plain

1km付近。まだまだ勾配は緩やか。

 

f:id:k-satochi:20210223124414j:plain

ここだ!前回はここを真っ直ぐ行って迷子になりました。でも夏のルートはここを真っ直ぐだったはず。でも今日は右のルートを進みます。

 

f:id:k-satochi:20210223124615j:plain

2km地点。分岐から突然始まった急登を終え、稜線沿いの道を進みます。

 

f:id:k-satochi:20210223124819j:plain

ん?道が合流しています。振り返ると左が今日来た道、右が本来の登山道か?

 

f:id:k-satochi:20210223125909j:plain

ガーミンのルートデータです。左が今回の2月22日、右が今年の1月2日に走ったルートです。やっぱりいつもと別ルートで、ショートカットになってました。確かにいつもは小川を3回渡るのですが、この日は1回だけでした。

f:id:k-satochi:20210223130738j:plain

ガレ場(冬バージョン)です。夏は結構危険を感じながら進むのですが、冬は滑り落ちても大丈夫かな?と、そこまで危険な感覚はなかったです。

 

f:id:k-satochi:20210223132515j:plain

ガレ場を抜けて急登を終えると、テイネハイランドの山頂駅のアナウンスが聞こえてきます。

 

f:id:k-satochi:20210223132722j:plain

4km付近、山頂までもう少し。この辺に来ると決まった道がなく、ほぼラッセル状態。

 

f:id:k-satochi:20210223133509j:plain

大きなケルン。初めて手稲山を登った時に、何故か山頂と勘違いした場所…笑

 

f:id:k-satochi:20210223134302j:plain

ケルンから防雪柵沿いにちょっと進むと、ゲレンデ山頂駅。札幌市内が一望できる大パノラマ。いつも思うのですが、スキーヤーやボーダーが沢山いるので何か変な感じ。

 

f:id:k-satochi:20210223135023j:plain

標高1023m手稲山の山頂に到着!ガーミンによる参考距離ですが、登山道入り口から4.5km。正規のルートを1kmショートカットしてましたが、その代わりに急登が結構厳しかった。

 

f:id:k-satochi:20210223135521j:plain

積雪で手稲神社奥宮が完全に埋まっていました。画像には写ってませんが、鳥居の上部が辛うじて見える程度。

 

f:id:k-satochi:20210223135455j:plain

晴天ではなかったものの、山頂からの風景は最高でした!

誰もいない山頂で10分ちょっと休憩して、来た道を引き返しました。

今日のルート(片道4.5km)で上りが1時間12分下りが40分

最近はトレーニング不足もあり、30km以降は脚が全く上がらず、帰りは本当に瀕死状態でした。

トータル距離46.6kmで6時間20分。

 

やっぱり雪山は良いトレーニングになります!

雪道ランのススメ

冬になり雪が積もると、冬眠してしまう雪国ランナーさんは少なくないかと

寒いし、滑るし、準備面倒だし・・・。

でも雪道こそ、最高のトレーニング環境なんです!

 

上の記事にプラスして見て頂けると、イメージしやすいと思います。

 

雪道を走る上で、一番気になるのがシューズやっぱりでしょう。

雪道ラン専用シューズとして、一番有名なのがアシックスのスノーターサー。

自分も所持していた時期はありましたが、今はコスパ優先?でシューズ選びをしてます。

 

防寒、防水、グリップ力に特化しているのが雪上ラン用シューズですが、状況によっては夏用のランニングシューズでも行けたりはします。

 

ここ数年トレイルランにもハマっている自分は、一足で夏山も冬道も走れるトレッキングシューズを昨年秋に購入。

トレラン専用シューズではないので、走る上での不具合はちょっと感じる時はありますが、その辺は全然妥協出来るレベルです(くるぶしが痛くなる)。

現在は冬山遠征時にメインで履いているシューズです。

f:id:k-satochi:20210220132117j:plain

サロモン(SALOMON)トレッキングシューズ OUTline MID GTX

〈2020年11月購入 ¥8,500  27.5cm〉

 

トレラン用のショートゲイター(AONIJIE)で、ラッセルでも雪の侵入をシャットアウト。山下りのブレーキングで、バンドがずれることがありますが、マジックテープが特殊で強力なので、走っていてもそう簡単に外れません。山に行く時の必須アイテムです。自分の不注意で、フックの根本が一度ちぎれてしまいましたが、補修して復活しました。ネットで2,000円位で買えます。

f:id:k-satochi:20210220154318j:plain

f:id:k-satochi:20210220154335j:plain

f:id:k-satochi:20210220154349j:plain

 

このシューズはテイネトレイル用に昨年の初めに購入したのですが、トレランシューズは冬も走れるという流れで、雪道シューズとしても使用しています。

ただサイズが26.5cmの割に小さめなので、長い距離にはちょっと向いていません。実際、昨年のテイネトレイルでも、両足の爪が死にました。27cmにすれば良かったと後悔していますが、基本的には軽量でスピードの出しやすいトレランシューズです。

f:id:k-satochi:20210220144410j:plain

サロモン(SALOMON) SENSE ESCAPE 2

〈2020年2月購入 ¥6,000  26.5cm〉

 

このシューズはランニングシューズのカテゴリというよりは、普段履きのスノトレに近いです。ただ、これが意外と履き心地がよく、冬場の通勤ランや普段のジョグ、そして山まで 行けるコスパに非常に優れたシューズです。今はもうグリップ力も防水性はなくなってしまいボロボロ、今シーズンで退役かな?

f:id:k-satochi:20210220132946j:plain

Kappa KP STM24 フィアートSR

〈2018年10月購入 ¥4,100  26.5cm〉

 

f:id:k-satochi:20210221123915j:plain

靴底取り付け型 アイゼン 滑り止め スノースパイク アイゼン10本 アイゼン シューズアイゼン【翌日配達送料無料】 スーパーSALE

価格:480円
(2021/3/7 17:20時点)
感想(15件)

こんな簡易アイゼンをシューズに装着すると、アイスバーンでもガッチリグリップしてくれます。とは言えあくまでも簡易式なので、山道などのアップダウンをハードに駆け回ると、外れてしまうので注意は必要です。種類は様々ですが、このタイプはネットだと1,000円以内で購入できます。

 

 因みにエンペラー2は、3シーズン程レースで使用後退役。このソールの形状が雪道にも対応出来るようで、昨シーズンは雪道は勿論冬山ランでも活躍しました。ただ防水性、防寒性がゼロなので、積雪状態の氷点下を長時間走っていると、足指先の感覚が麻痺してきたりします。すでに廃棄処分となってしまいましたが、かなりボロボロになるまで頑張ってくれました。

f:id:k-satochi:20210220151118j:plain

f:id:k-satochi:20210220151139j:plain

 Mizuno ウェーブエンペラー2

〈2017年7月  26.5cm 豊平川ラソン優勝副賞〉

 

初めて購入した冬道用ランニングシューズ。初期モデルでしたが、すでに完成度は高かったと思います。

f:id:k-satochi:20210220152929j:plain

asics スノーターサー

〈2005年11月購入  27cm〉

 

スノーライダーはグリップ力では劣るものの、トータルバランスではスノーターサーに匹敵する良いシューズでした。

自分は持っていませんでしたが、ミズノ製のウェーブスペーサースノーという、さらに雪道ランを考えたシューズもありました。

f:id:k-satochi:20210220152947j:plain

Mizuno ウェーブスノーライダー

〈2006年10月購入  26.5cm〉

 

当然雪道を走るには、夏に比べてそれなりの準備は必要だとは思います。

ただ自分の経験上…シューズに関しては雪道は夏用で十分走れます。この記事が参考になるかはわかりませんが、気温や路面コンディション、距離やペースによってアイテムを使い分けて、雪道を快適に走ってみて下さい!

第57回別府大分毎日マラソン

2008年2月3日開催
 
https://livedoor.blogimg.jp/yutochi210/imgs/5/3/5310e025.jpg
 
2003年に走り始めて丸5年。
今回やっと念願であったフルマラソンのエリートレース『別府大分毎日マラソン』への初出場を果たすことが出来ました。


正式タイム
5km-19'18
10km-38'31(19'13)
15km-57'53(19'22)
20km-1:17'28(19'35)
(21.1km-1:21'53)
25km-1:37'08(19'40)
30km-1:55'59(18'51)
35km-2:13'59(18'00)
40km-2:32'08(18'09)
42.2km-2:40'07(7'59)

 
2006年の絶好調が一変、昨年2007年は正直納得の記録を残すことは出来ず悔しい思いを。一番良かったタイムが、持続走として出場した荒川での2時間50分。本命の洞爺湖では直前の故障で途中棄権。さらに北海道マラソンでは自己ワーストの3時間43分。
故障⇒練習不足⇒レース⇒また故障…そんな悪循環をずっと繰り返していました。

今年は同じ過ちを絶対に繰り返さないように、回復を最優先としてトレーニングをセーブ、機が熟するまでじっくりと焦らず待ちたいと考えていました。
なので今回の別大もスタートラインに立つ事が最優先、実質2ヶ月という準備期間でどこまで出来るかは全くわかりませんでしたが、限られた期間で自分なりに出来ることをやってきたつもりでした。


・レース前日
新千歳空港を8時半に出発、羽田で乗り継いで大分には13時頃に到着。予定では空港で昼食のはずでしたが、大分行きのバスが13時半を逃すと15時台までないらしく、空腹のまま大分行きのバスへ。

雨の大分駅に着きましたが、あまりの空腹感におにぎり2個とイチゴ大福を購入。その後若干迷いながらも無事に宿泊ホテルにチェックインをすることが出来ました…でも雨でびしょ濡れ。
受付があるのであまりゆっくりも出来ず、おにぎりと大福を食べてから電車に乗り、受付会場である別府のビーコンプラザへ。雨が降ってるので傘を差していても足元が~…寒さは別として雨より雪の方がマシかも。

激励の夕べではバイキング形式で料理が食べ放題!でものんびりしているとすぐになくなってしまいます。料理テーブルに群がる選手達の間を縫って、何とか料理を確保することが出来て一安心。ビールはコップに軽く3杯程度で、あとはウーロン茶にしました。

帰り道では妻に借りてきた折畳み傘を壊してしまい、ちょっと大変な思いもしました。この日はずっと雨だったので、レースの準備をしてからホテルの大浴場で浸かり、一度も走ることなく就寝…明日は雨が降らないことを願いつつ、傘が壊れてるので…笑


・レース当日~スタート前
3日は6時半に起床。7時から朝食なので、すぐに行きました。昨日も結構食べたのですが、この日の朝もかなり食べました。ご飯とお粥とパンを全て制覇。
朝食後は恒例のトイレラン…ではなくウォーク。雨はすっかり止んでいたので、大分川に向かって往復2km程の散歩をしました。ウォークにもかかわらず帰りは非常にやばかったです…何とかホテルに到着しましたが、エレベーターは行ったばかりでなかなか来ない~…かと言って10階を階段で上ってたら確実にアウトでした。でも目的は達成。

9時40分頃ホテルを出発して、競技場に向かい歩き出します。雨であればバスで行くつもりでしたが、時々晴れ間も見える天気だったのでのんびり歩くことにしました。
大分川のボート練習を見ながら橋を越えて土手の上をさらに歩きます。ちょっと肌寒かったですが、北海道に比べれば全然…札幌だと4月下旬くらいの感じかもしれません。

競技場に到着して雰囲気を味わいつつスタートまで1時間半、ウェアーチェックを兼ねた点呼の長い行列に並びます。点呼終了後はアップでトラックを5周、トイレもしっかり済ませました。

スタート20分前、ランパンランシャツに着替えて走る準備は完了。今回は薄手の手袋のみと防寒対策は全く考えていなく、スタート直前までアームウォーマーを購入するか非常に迷っていました。でもすでに時間が無く諦めることに。太陽が出ると結構温かく感じたので、終盤失速さえしなければ寒さには耐え切れそうと判断しました。
その他の装備はサングラス、ランパンの簡易ポケットにはカーボショッツを2袋、シューズはウェーブスペーサー2004。

自分のナンバーは331でほぼど真ん中です。前から13列目の320~340のプラカードの位置に並びますが、さらにここでも順番のチェック。インコース側からナンバー順に並んでいるかチェックを行っていました。11時50分を過ぎていたので前方に見える大型スクリーンでは放送が始まっている模様。それを意識してか選手達がクレーンのカメラに向かって手を上げたりしていました。自分もちょっとだけ…笑
 
スタートの時間まであと僅か…緊張感も高まります。スタンドからもカウントダウンが聞こえてきます。そして12時、号砲と共にいよいよ『第57回別府大分毎日マラソン』のスタートです!


・スタート~
周りを囲まれて逃げ場がないので、転倒に十分注意しながら慎重に脚を運びます。トラックを1周する頃にはスペースも若干広くなり、さらにトラックを3/4周程走ってから競技場をあとにします。
レーススタート
今回の目標タイムは厳密には設定しませんでしたが、基本的にはキロ3'50前後で最後まで行ければ良いかな?と。実際に走ってみて調子が良ければ、40分切りの可能性も視野に入れながらペース配分を考えることにしました。ただ40分を切るには30kmを最低でも1時間52~3分台で通過しないと厳しいということを頭の片隅には入れておきました。

と言うことで結構重要な入りの1kmは?と時計を見ると…心拍数だけが表示された状態!?スタートボタンを押し忘れてました。とりあえず慌ててスタートボタンを押しましたが、結局1km通過のタイムはわからないまま。計算しやすいように4分足せばいっか、まぁ微妙なタイムでゴールに駆け込む訳でもないし…。自分の感覚では4分は確実に切ってると思っていました、2km以降も3'50~55のラップだったので。しかしこの勘違いが最後の最後で悲劇を招いたのです…笑

3km付近、自分はどの集団に入ろうか迷っていた時間帯。本当は設定より速めの3'50を切る集団に入りたかったのですが、いつも設定ペースよりも速い集団に入りそれで失敗していたので、今回は自重して一つ後ろの集団に落ち着きました。
折り返しを通過して5km地点は15'17…+4'。ちょっと遅めですが、通過タイムに一喜一憂せず、自分が楽と感じる感覚を維持します。いまいち呼吸が安定せず。
~5km-19'18【158/165】


集団の中を走っている為か、風はそれ程気になりません。6kmには最初の給水ポイントのはずでしたが…上に何も置いてないテーブルが並んでいるだけ、そして地面に散乱しているペットボトル。仕方ないので落ちている飲みかけのペットボトルを拾おうとしますがタイミングが難しい…まぁ当然ですけど(笑)
ここで作戦変更、ペットボトルを拾う事に成功したランナーから拝借しました。これが一番かな?ちょっとずるいけど。

何とかスポーツドリンクを一口飲みましたが、口の中に甘さが広がりちょっと気持ち悪くなる。スタート前にも散々スポーツドリンクを飲んでいたので、若干の拒否反応か?お口直しにスポンジポイントでは水を補給、これでちょっと落ち着きました。
舞鶴橋を渡り10km地点。ペースは5kmまでとそれ程変わらず、予定ペースよりは若干遅いままですが順調にレースは進みます。やっと落ち着いてきました。
~10km-38'31(19'13)【157/162】


10kmを過ぎ、この辺から尿意を感じ始めました。我慢出来ない程ではありませんが、引く気配も全くありません。さっさとトイレに入ってしまえば簡単なのですが、トイレでスッキリした後に関門でレース終了~なんて事になりかねないので、我慢するしか道は残されていませんでした。

集団のペースは上がるわけでもなく落ちるわけでもなく、自分は何も考えずに付いていくだけ。大分の市街地を抜けると右前方に別府湾が、はっきりと向かい風を感じたので、意識して集団の後ろに隠れながら風の影響を受けないように心がけました。
左腿裏には少し違和感がある程度、気になっていた左すねや右の腸脛靭帯は問題ないようです。
~15km-57'53(19'22)【157/163】


噂には聞いていましたが、別大国道のバンクは想像以上に傾いてました。傾斜を意識して走らないと、どんどん下に落ちていきます(笑)
そんな中でも考えている人はいるみたいで、路側帯の排水溝の上はそれ程傾斜がキツくなく、自分も真似をしてしばらく排水溝の上を走っていました。

それでも一番気になるのはトイレ、正直走りに集中出来ない位まで追い込まれています。本気で垂れ流そうと思ったくらいです、でもそこは我慢…笑
20kmまでのラップが19分半を越えてきました。体感的には今までと変わらないイメージで走っていたのですが、向かい風の影響で集団のペースが落ちてしまったようです。このペースダウンに敏感に反応した余裕のあるランナー達は、各々のタイミングで集団から飛び出していきました。
自分はまだ我慢、違う意味でも我慢してましたが…笑

この尿意は本当に何とかならないのかと考えた結果、給水はしばらくパスすることに。ただスポンジだけは取って口を湿らす程度にしました。何とか尿意が治まって欲しいな~と思いつつ、スタートからずっと持っていたカイロをシャカシャカと振ってました。
~20km-1:17'28(19'35)【156/162】


自分の脚に自信があれば、ここで思い切って飛び出したいところ。しかし、まだそんな勇気は湧いてきません。それよりも尿意が気になり過ぎて、それどころではなかったような気も…。

22~3km付近に来るといよいよトップランナーが折り返してきました、トップはちょうど29km地点。ペースメーカー二人と黒人選手一人、そこから少し離れて日本人を含む集団がありました。その後も次々とランナー達とすれ違います。
刺激を受けたのか何となくペースが上がりそう、でも余裕があってもとりあえず折り返しまでは我慢。今出ても30km以降に失速したら意味がないと。さらに年末につどーむで行った32kmの持続走、キロ4分設定にも関わらず終盤失速…ペースも心拍数もその時とほとんど同じ状況で走っていたので、慎重にならざるを得ません。

気のせいか?ちょっと雨が落ちてきたような…寒さは感じていましたが、カイロのお陰で指先は冷たくならずに済んでいました。
そして25kmを通過。この区間の5kmのラップはさっきよりもさらに遅い…これからがちょっと心配になった瞬間でしたが、焦らず焦らず。ここでひとつのポイントである折り返しを迎えます。
~25km-1:37'08(19'40)【156/160】


折り返すと待っていた追い風…意識してペースを上げた訳ではありませんでしたが、いつの間にか集団を飛び出していました。
そして1kmのラップが3'50を切り始めていることに気付き、モチベーションも徐々に上がってきます。さらに尿意もいつの間にか治まったので、走りにも集中できるようになって来ました。脚にはまだ疲労感は感じていません、ここから上げていくぞ~!
…と言ってもまだ30km手前、もう少し様子を見たい欲求に駆られて気持ち抑え気味に。
いよいよ後半戦の始まり。30kmまでの5kmのラップは19分を切ってきた~!
~30km-1:55'59(18'51)【158/162】


帰りの別大国道は追い風にも助けられて、ペースも結構上がってきます。キロ3'40を切ってましたが、脚もまだ軽い感じで苦しさはそれ程感じません。ランナーを次々とゴボウ抜き、誰もついてきません。ちょっとした優越感に浸っていました(笑)
~35km-2:13'59(18'00)【167/170】


しかしそんな好調も長くは続きません。急激なペースアップが災いして、35kmを過ぎたあたりから太腿前面の張りが大きくなってくるのが分かりました。とりあえず体は元気なのですが、奮起を期待してカーボショッツを補給。少し苦しくなってきましたがペースは出来るだけ落とさないように心掛けます。
実際にもペースをある程度維持することは出来ていました。周りのランナーよりもペースはまだ速かったので、これが気持ちを切らさずに走れた要因かも知れません。
あとスポンジの水を脚にたっぷり掛けて冷却、これが意外と効果的でした。

序盤からずっと設定よりも遅いペースでレースが推移していただけに、ここまで全くゴールタイムの事を考えていませんでした。
ところが残り5kmの表示が出てきた辺りで時計を確認すると…あれ?もしかして頑張ればいい所まで行けるかも知れない…そう思うと多少ですが元気が出てきました。そして40kmを通過。
~40km-2:32'08(18'09)【168/171】


ここからゴールまではとにかく必死でした。終盤になって突然出てきた40分切りの可能性(ゴール後に待ち受ける故障の可能性も出てきましたが…笑)、後先は考えずに今は全力で脚を運ぶだけ。

橋を渡り左に曲がると、後は競技場まで一直線。ここでは意表を突くような強烈な向かい風に見舞われペースも若干鈍ります。いよいよ競技場、ゲートに設置されていた時計は2:38'40を回るところ
競技場ゲート前
あ~無理かも~…せめてあと10秒速ければ…と思いつつも最後まで諦めずにトラックを必死で走ります。第3コーナーの時計が2'39'20を越えました、思わず「間に合え~!」と声を出してしまいました(笑)
そして最後の直線、他のランナーもかなり必死でした。しかし残り数十メートルの所で無常にもゴールの時計は2:40'00を越えてしまいました。
~Fin-2:40'07(7'59)【171/174】


・ゴール後
レースの余韻に浸りつつ、筋肉痛に耐えながらホテルまで徒歩で戻りました。夜はラン友のお誘いを受けて、別府にて大分名物を堪能。
翌日は早めにホテルをチェックアウト、別府にて朝温泉に入りました。行きと同じく大分空港から羽田で乗り継いで夜19時頃に自宅に到着。こうして3日間の遠征が終わりました。


結果的に2006年の旭川ラソンに次ぐセカンドベスト、そして同じく2006年の沖縄マラソンの公認自己ベストを更新したにも関わらず、ちょっと微妙な感じなのは何故?(笑)
今回は自分の走力に対する自信のなさから、序盤は必要以上にペースを抑えてしまいましたが、今の状態でも工夫次第であと1~2分は速く走れるだろうという確信は持てました。
洞爺湖では気持ちと体を上手くシンクロさせて、最大限の力が発揮できるような準備をしていきたいです。
 
〈当時を振り返って〉
フルマラソン2時間40分以内、第54回までの参加標準記録です。
この記録を出して、この大会に参加することがモチベーションとなっていました。
…が、第55回の記念大会から参加標準記録が緩和されて、当時の持ちタイムでも参加できてしまいました。何となく自分の中では納得しきれない部分もありましたが、とにかく別大マラソンに参加することが出来て嬉しかったのを覚えています。
 
2007年は故障が長引いて不本意な年となり、思ったような練習もそれほど積めずに臨んだ別大マラソン。あまり入れ込み過ぎずに走れたのが、思わぬ好記録に繋がったと思います。そしてこの大会を経て、2008年は自身にとって飛躍の年になりました。洞爺湖ではまたまた失敗してしまいましたが、北海道マラソンで初の公認40分切りを達成。その一ヶ月後の別海パイロットマラソンで2時間33分台で走り、道マラの記録をさらに更新、そしてマラソンはここで一区切り。
2009年からはプライベートで困難人生のスタートとなりました^^;

初マラソン

 第18回アコムさっぽろ祭り市民マラソン

 2003年6月15日開催

初レースのハーフマラソン(1時間23分台)から1ヶ月が経過し、これまでと同様にジムでのトレーニングを続けてきた。しかしながらハーフの足し算でフルマラソンを2時間台で走るつもりでいる自分がいた。

月間走行距離が100㌔にも満たない、ましてやマラソンのトレーニングを始めて4ヶ月かそこらのランナーが・・・そんな自分の甘さがレース後わかることになる。

スタート位置は前回のハーフに比べ人数が少ないこともあり前から5列目位。スタート後は何も考えずとりあえず前にでて、速いペースの集団に入る。ペースはハーフのときとほぼ同じくらいか。

フルマラソンを走ることに関しての知識がほとんど皆無に等しい自分は、途中の給水も満足にせずに前半を1時間25分とハイペース!後半の2周目に入り公園からサイクリングロードに出る直前で突然足が重たくなってきた。

体もだるくなり今までいた集団からあっという間に引き離され、後続のランナーに次々と抜かれていく・・・。さらにスピードは遅くなり、2回目の折り返し後はほとんど歩くようなペース、意識はもうろうとなり次の給水地点が待ち遠しく思う。

あまりにも抜かれすぎて正直気持ちが折れてしまった。最後の給水地点ではついに立ち止まり水を2杯がぶ飲みするが体力は回復するはずもなく。ここからゴールまでは歩かないで走り続ける!と自分に言い聞かせ、まだ先のゴールを目指した。

最後は空腹も頂点になり焼肉が頭から離れずフラフラになりながらも何とかゴールはしたが、すぐに芝生の上で大の字にダウン・・・「ちょっとこれはキツ過ぎ・・・」と思いしばらくは動けなかった。

のどが渇いていたのと空腹感でスポーツドリンクなど3本ほどを飲みほし、お腹はタプンタプン今度は満腹になりすぎて動けなくなった。もちろん焼肉は食べられるはずもなく。結局後半は2時間かかり、ハーフとは別次元のフルマラソンの恐ろしさを痛感したレースだった。

3:24'54 (4'51/km)

フル一般男子A組 29位/77人中
総合順位 71位/308人中
 
〈当時を振り返って〉
こんな感じの初マラソンでしたが、フルマラソンに対する知識が全くなく勢いのみで参加。フルマラソンはしっかりとした計画を立てないと、結果が出ないと言うことを痛感したレースとなりました。
 
あれから18年経とうとしていますが、今でもフルマラソンは難しいと思っています。正直、失敗レースの方が多いのかな?と感じる程。そこがフルマラソンの魅力なのかもしれません。

SAPPORO★テイネ・オータムトレイル2020

2020年9月13日(日)開催

f:id:k-satochi:20210214124612j:plain 

2020年は新型コロナの影響で、2月からの市民マラソン大会は軒並み中止に

国際大会もエリートのみの出場で、規模を大幅縮小しての開催。オリンピックも一年延期と、これまで経験したことのない年となりました。2021年になっても楽観視出来ない状況は続き、オリンピック開催自体も危ぶまれる雰囲気が世界的に広がっています。

 そんな2020年に自分が参加した唯一の大会が、テイネオータムトレイルで、33kmの部に出場しました。当初は6月開催予定だったのですが、新型コロナの影響で大会自体が一時は中止に。ですが大会関係者の安全対策徹底等、新しい大会運営スタイルの確立により、9月に開催することが再決定となりました。

 自分は2019年の札幌マラソン終了後の11月から、6月9月の大会に向けて山のトレーニングを定期的に入れてきました。藻岩山16回(雪山7回)手稲山8回(雪山4回)。その他に三角山や砥石山、さらに小林峠や幌見峠の峠走も10回以上行う。

 大会中止が決定した時は、モチベーションが一気に低下して練習量も減少。大会開催が再決定してから、急に練習の質を上げた結果、8月に左ふくらはぎ肉離れに。2週間程走れない時期もありましたが、何とか大会当日を迎えることが出来ました。

 

〈レース備忘録〉

9時から30秒毎に5人での時差スタート、自分は10列目位から。
スタート前は雨が止んでたので、レインウェアは脱いでザックに押し込む。
5km過ぎで既に大腿部に張りが出てくる。
前半の15kmが想像以上にキツく、余裕を持って後半に入る事は出来ず。
それでも試走経験のある平和の滝からのルートは冷静に登り、山頂駅ではトップに立っていた(見た目だけど)。
それも束の間、下りに入ると後ろから一気に2人に千切られる。
単に自分が遅いだけなのかもしれないが、本格派のトレイルランナーは急坂の下りが異常な程に速い(º_º)

f:id:k-satochi:20210214123739j:plain

残り5kmは脚が完全に終わって、膝がガクガク状態。
残り1kmでまた1人に抜かれるが、全く反応出来ず。
そしてやっとゴールだ〜!長かった…。

正式タイム3時間39分20秒
ラッキーな事に総合6位入賞(^-^)/
まさか入賞してるとは思わず、車で帰り支度を進めてると、自分の名前が放送で何回も呼ばれてるみたい?遠くて聞こえにくい。
その日最速ペースのダッシュで表彰式に何とか滑り込む。

 

f:id:k-satochi:20210214122712j:plain

f:id:k-satochi:20210214122725j:plain

これまで滝野や岩見沢の15km程度のトレイル大会を走ったことはありますが、今回の手稲の33kmは全くの別物。距離は勿論ですが、高低差が激しく走れない区間も結構ありました。更に雨が降ったことにより、よりテクニカルな走りが必要だと感じる結果に。特に下りの走り方。

2021年も昨年と同じ様な状態が続くと思いますが、もし大会が開催されるのであれば、また参加したいと思います。

 

公式サイト

SAPPORO★テイネ・オータムトレイル2020 | SAPPORO Teine Trail